作者onnanoko (一期一会)
看板NIHONGO
標題受賞の2人 発見までの道のり
時間Fri Oct 8 15:02:14 2010
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101007/k10014454741000.html
鈴木さんと根岸さんが画期的な化学反応を見いだすまでには、1人のアメリカ人研究者
との出会い、そして日本人研究者どうしの切磋琢磨(せっさたくま)がありました。2
人をよく知る中央大学の檜山爲次郎教授は「1970年代当時、根岸さんや鈴木さんを
含む、日本の有機化学の多くの研究者が、成果を出そうと先を争っていた」と述べてい
ます。
鈴木先生和根岸先生在發現劃時代的化學反應前,與一位美國科學家的相識,
一起同樣身為日籍科學家互相切磋砥礪。認識這兩位的中央大學檜山為次郎教授描述,
「在1970年代當時,包含根岸先生與鈴木先生在內,有很多日本的有機化學研究學者,
爭先恐後的發表成果。」
根岸さんは、昭和28年に東京大学に入学し、工学部で応用化学を学びました。卒業後
、化学メーカーの「帝人」に入社し、化学繊維の研究に取り組む一方で、社内の合唱団
にも所属するなど多才だったと言います。当時の同僚の1人は「研究というものにまっ
すぐに向かうとともに、切り替えがうまい。遊ぶときは徹底的に遊び、みんなに好かれ
ていた」と話しました。根岸さんは、その後、アメリカに渡り、のちにノーベル化学賞
を受賞したアメリカのハーバート・ブラウン名誉教授に出会います。この出会いが人生
を劇的に変えたと言います。
根岸先生在昭和28年(1953年)就讀於東京大學工學部應用化學領域。畢業後在「帝人」化
學公司上班,研究化學纖維的同時也是公司內部合唱團的成員可說是多才多藝。同事中有
一個人描述當時的他,「做研究時可以馬上投入又同時可以立即去做其他事情。該玩時就
盡情的玩,大家都相當喜歡他。」
根岸先生之後來到美國,與後來的諾貝爾化學獎得主哈伯特‧布朗(Herbert Charles Brown
)名譽教授巧遇。這偶然的相遇可以說是他人生巨大的改變。
根岸さんは、日本時間6日夜の会見で、「ブラウン教授は『ドングリ』に例えて、『小
さなドングリでも大きなかしの木になる。有益なものをつくれば、ほかの人にも認めて
もらえる』と教えてくれた」と話しました。一方、鈴木さんも同じブラウン教授の研究
室に留学し、2年間の指導を受けて、有機化学の奥深さに引き込まれていきました。鈴
木さんと根岸さんが、その後、本格的に取り組んだのが、「クロスカップリング反応」
でした。「クロスカップリング反応」は、2つの異なる有機化合物を合成し、新しい有
機化合物を作るためにカギになる技術です。化学の世界では、当時、2つの有機化合物
を混ぜ合わせても、なかなかうまく結合しないことが課題でした。
根岸先生在日本時間6號晚上的記者會上回憶當時,「布朗教授以『橡實』舉例教導我,
即使是小小的橡實也會變成大樹。做出有利於人類的東西,也就能被別人認同。」同時,
鈴木先生也早已在布朗教授的實驗室裡接受兩年的指導,被引領進深奧的有機化學領域
中。
鈴木先生和根岸先生之後正式進行的研究便是『交叉偶合反應』。『交叉偶合反應』是將
兩個不同的有機化合物合成另一個新化合物的關鍵技術。在當時的化學領域裡,要將兩個
有機化合物混成組合是個相當困難的任務。
今回、いっしょに受賞が決まった3人の中で、最も早くこの課題の解決の糸口を見つけ
たのが、アメリカ・デラウェア大学のリチャード・ヘック名誉教授でした。1972年
(昭和47年)、ヘック名誉教授は、「パラジウム」という金属を仲立ちにすることで
、2つの物質を結合しやすくする方法を見いだしました。昭和52年、根岸さんは、「
パラジウム」を使うこの方法を大きく発展させ、新たに「亜鉛」を加えることで、効率
よく、安定して反応させることに成功しました。さらにその2年後の昭和54年。鈴木
さんが、「亜鉛」ではなく「ホウ素」を加えることで、より効率的に反応を起こす方法
を確立しました。
這次一同獲獎的三人中,最早發現這個問題解決方法的先驅是美國德拉威大學名譽教授
Richard Fred Heck。1972年(昭和47年)海克名譽教授找到了將鈀金屬做為媒介讓兩個物
質可以輕易結合的方法。昭和52 年(1977年),根岸先生為了使鈀金屬的使用更為廣泛,
成功地加上鋅讓反應效率更好更安定。兩年後昭和54年(1979年),鈴木先生以加上硼而非
鋅,確立了更有效率的反應機制。
これによって、作りたい有機化合物を工場などでも大量生産できるほどにまで、技術を
飛躍させました。鈴木さんの当時の研究室で助手を務めた北海道大学大学院工学研究院
の宮浦憲夫特任教授は「アルカリの水溶液を加えたところ、反応が劇的に変化しました
。目的の反応が完成するまでに、昭和50年ごろだったが、3、4年かかった。求めて
いた物質だけが生成されて美しい結果が出たときには、2人で大きく感動しました」と
当時の苦労を振り返りました。
根據這個方法,讓從事有機合成的工廠、製造業等在大量生產的技術上有了大躍進。
在當時還是鈴木先生實驗室助理的北海道大學工學院研究所宮輔憲夫特任教授回顧
過往的辛苦,「加入鹼性水溶液時,反應起了戲劇性的變化。在達到反應的目標之前,
昭和50年曾經一度中挫,花了三、四年才完成。看到期待已久的產物被完美的做出來當下
,兩個人都感動不已。」
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編按:
對這個有興趣是看到對治癌藥物製程有幫助,因為中研院基因體蛋白質中心的主任,
同時是中研院院長的翁啟惠院士是以醣類分子合成治癌藥物領域的佼佼者。
也是我當時老闆的老闆~XD
很久沒看新聞了,興起翻一下,請輕輕鞭~~
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※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc)
◆ From: 114.25.165.21
推 putaru:好像在一些細部的時態 主語述語的關係上有微妙的ずれ耶@ @ 10/08 18:59
→ putaru:比方說第一句講述得應該是兩位學者在完成這項研究前的經歷 10/08 19:01
→ putaru:而這段經歷理包括與一位美國學者相遇 以及同為日本人的學者 10/08 19:02
→ putaru:彼此之間的切磋琢磨 @ @ どうし跟として也不一樣 10/08 19:03
^^^^^同士??
還請大大指教~m(_ _)m ^^
推 Xkang:o大的老闆是翁啟惠? 所以妳也是台大化研所畢業的哦? 10/08 21:28
→ Xkang:妳的內文我找時間再看...XD 我每年都會注意諾貝爾化學獎~~ 10/08 21:29
推 Xkang:原來是老闆的老闆 看錯~ 10/08 21:46
我不是台大人啦~~只是當初想出國所以去中研院當助理
中研院不一定就是台大的唷~
※ 編輯: onnanoko 來自: 114.25.171.126 (10/09 00:03)
※ 編輯: onnanoko 來自: 114.25.171.126 (10/09 00:10)
※ 編輯: onnanoko 來自: 114.25.171.126 (10/09 00:11)
※ 編輯: onnanoko 來自: 114.25.171.126 (10/09 00:19)
推 Xkang:哦 是中研院研助啊 我碩士論文也是在中研院寫的 10/09 11:43