作者akanokuruma (做自己,好自在)
看板NIHONGO
標題Re: [文法] 關於授受的理解
時間Tue Nov 9 02:10:12 2010
說到這個
有一篇日本人寫的高杉親知の日本語内省記
http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/itadaku.html
「させていただく」と言う人が増えている。耳障りなので使わないよう気を付けていた
はずなのに、私自身つい使ってしまったことがある。そう言いたくなってしまう理由は
何だろうか。
「させていただく」は自分の行動について使われるが、ほとんどの場合、謙譲語を使う
べき状況で使われている。以下に主な動詞をまとめた。
使用這個的句型日本人變多了,
但因為會讓人有不愉快的感覺所以比較傾向不用,
作者自己也會不小心使用這個句型
節錄:
「させていただく」は自分の行動について使われるが、ほとんどの場合、謙譲語を使う
べき状況で使われている。
「させていただく」、「食べさせていただく」などの表現は単純な「する」、「食べる
」とはかなり異なる。使役の「させる」と受益の「もらう」があり、相手の意志に関わ
らず自分のために実行する決意が感じられる。この不遜(ふそん)な言葉使いは、話者
が本来表したいだろう謙譲と一致しない。我々が「させていただく」を聞いたときに不
快になるのは、話し手の語法と意図に齟齬(そご)があるためである。試しに「させて
いただきます」を聞いたら「させてもらいます」に置き換えてみると良い。聞き手を無
視した少し失礼な表現になるはずだ。ただし、相手の許可を得る場合や、相手の意志に
反して何かを実行するときに使う「させていただく」はもちろん問題ない。「何と言お
うと、やらせていただきます」と言うのはおかしくない。
させていただく是萬用、又很提高對方的地位,無視給予者的意志所使用的句型
若說話者A使用了させていただく
聽者B就會覺得A講話的語感跟意圖不一致,就覺得很不舒服
這段我不懂:
ただし、相手の許可を得る場合や、相手の意志に
反して何かを実行するときに使う「させていただく」はもちろん問題ない。
得到對方的許可又何以算是違反對方的意志?
好矛盾..
--
"Verloren ist nur, wer sich selbst aufgibt"
只有那些放棄自己的人才會失去信心
漢斯·烏爾里希·魯德爾(Hans-Ulrich Rudel)
二戰德軍飛行員
--
※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc)
◆ From: 219.84.246.235
※ 編輯: akanokuruma 來自: 219.84.246.235 (11/09 02:10)
推 doasgloria:哈哈 我也喜歡這個用法耶= = 本來覺得說 想要做甚麼事 11/09 02:35
→ doasgloria:的時候用這句真棒的~ 日本人果然還是很敏感XD 11/09 02:35
推 retsmah:請注意場合後面有個や 11/09 06:34
推 onnanoko:應該是說させていただく是說話者的謙讓語並沒有使用錯誤 11/09 11:22
→ onnanoko:但是對聽的人而言,就好比是不管人家願不願意的情況下, 11/09 11:22
→ onnanoko:都要聽者同意的意思。那種感覺讓人很不舒服。 11/09 11:23
→ MarketWizard:不是樓上講的意思。是聽話者覺得說話者自己就想做的 11/09 15:23
→ MarketWizard:事,幹嘛還要裝作要聽話者同意才能做?這事又與聽話 11/09 15:24
→ MarketWizard:者根本一點關係都沒有的情況下,就顯的說話人很假。 11/09 15:25
→ MarketWizard:但若是說話者本來就是想取得聽話者的認同,或是擺明 11/09 15:26
→ MarketWizard:就告訴聽話者我不管你怎麼想我就是要幹些什麼的時候 11/09 15:27
→ MarketWizard:(這件事與聽話者有關),使用這種句型就是正確了。 11/09 15:28
→ onnanoko:實在看不出來你講的跟我講的差別在哪裡?我只解釋文意也許 11/09 23:55
→ onnanoko:也有理解錯誤的地方。僅供參考嚕~ 11/09 23:57