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不太清楚裡面在寫什麼... テレサ・テンの秘蔵写真を世界初公開  ここにはじめて公開する写真は、彼女が最後の住処としたパリのマンションで、しか もベッドの枕元に貼られていたものだ。私がテレサ・テンの取材をはじめたのは1992年 。亡くなる半年ほど前に最後の来日となった仙台で会ったとき、私は彼女の人生を書き たいと正式に申し入れた。「光栄です」。テレサはこう語った。実はこの写真には多く の謎が隠されている。私はいまこの1枚の写真を手がかりに彼女の人生を綴りつつある 。 テレサ取材日記(パリ編) 私がテレサの遺族の連絡を受けてパリへ向かったのは98年5月のこと。マンションを売 却するので、その前に内部を見ておいてほしいという。ここに現地で記した日記の一部 を紹介する。なお公開を前提にしたものではないのでまったく推敲されていないことを お断りしておく。「注」という表記で最小限の説明を加えた以外は当時のままだ。  5月18日  昨日4時30分ごろパリ着。  空港からタクシーでナポレオンホテルへ。荷物を置いてホテルのまわりを歩く。すぐ 横が凱旋門。夜から広岡さん、通訳をしてくれる小林さんと打ち合わせ。今日は朝9時 から行動。ジム・テン(注、テレサの弟)から聞いていたリン・チェンさん(テレサの 荷物を動かす役割の人)がつかまらず。弁護士を通じて分かったことは、ロアール城へ と観光。仕方なくテレサが通った「富春酒家」。店主に話を聞き、息子にも話を聞くが 、大した成果なし。朝から凱旋門に登って、カルチェ・ラタン、ルーブル博物館とまさ しく観光だ。テレサが住んでいたマンションをながめたりしつつ、あるいはルーブルの ミケランジェロなどを見ていて考えたのは、今回の本は羽仁さん(注、歴史家の羽仁五 郎。1901~83)が「ミケランジェロ」を書いて時代を書いたように、テレサを通じて時 代(中国ー台湾ー日本関係)を書くことだと固まってきた。  夜は一人放り出される格好になったので、ブラブラしつつホテル近くのレストランへ 。すべてフランス語でさっぱり分からず。適当に注文して、でもおいしかった。21日に は時間ができそうなので、何とかランボー(注、詩人。1854~91)の生まれたシャルル ロワ(ベルギー)へと足をのばしたいと思っている。「本の話」(注、文藝春秋の書評 誌)のエッセイのためにもであるが、同時に20歳ごろの感慨を現地に行って確かめたい という気持ちも大きいからだ。「居酒屋みどりで」という詩にでてくるシャルルロワ。 何か面白いエッセイが書けそうな気がしてきた(注、このエッセイは「本の話」98年7 月号に「詩人ランボーに魅かれて」というタイトルで掲載)。  5月19日ー20日  人が死に他人がそれを記録する。何とも寂しい思いがしてくる。テレサのマンション は没後3年が経ち、当時のたたずまいに加え、その後、家族などが荷物を、しかも大あ わてで動かした、そのままなのだろう。でもその基本にはテレサの日常の生活の跡が厳 然として存在していたのである。 CD、小型のピアノ、好きだったのだろう、ひょう 皮のソファー、居間からテレサの部屋へ行くと一人用のベッド。窓際に置かれた机の上 には、ペン立て、辞書、詩集など。そしてパワーブックも置いてあった。その横にはス テファン(注、テレサと同居していたフランス人)の部屋なのだろう、多くのレコード があり、そのまた横の部屋には旅行かばんなども。バスルームの化粧品などもそのまま にしてある。 テレサの単行本の中には詩集もあったが、中国政治についてのものもあ った。天安門の影響はこうした形でも現れていたのだろう。  夕方からはアメリカ大使館前でFDC(注、中国政府に対する反体制運動組織)フランス 会長の チェさんから話を聞く。天安門事件当時、武漢大学の学生。目の前で銃を乱射 された体験者。死の淵からの生還者ゆえの深い目をしている。彼からの取材でテレサに ついての本の第1章は書ききることができそうだ(注、その後、構想はまったく変更し た)。  さて、今朝(5・20)は、パリ北駅から電車に乗ってベルギーのシャルルロワへ。ラ ンボーが詩の舞台にした土地だ。ナミュール(Namur)行きの列車。午前11時1分発でシ ャルルロワへは12時52分着(シャルルロワ南駅)。シャルルビルメジェール(ランボー の生地)─とパリで出ているガイドブックにはあるが、日本の文庫本では堀口、小林本 (注。堀口大學、小林秀雄の新潮文庫、岩波文庫)ともにシャルルロワとなっている。 いったいどちらが本当なのだろうか(単純な誤読。生まれはシャルルヴィルだった)。  5月21日  もう帰国の日となってしまった。昨夜はシャルルロワからパリに着いたのが午後10時 前。通訳の小林さんに連れられて貝類の食べられる店へ。ホテルへ戻ったのが0時スギ だったので、今朝はゆっくり。それでも11時前にcheck outして、シャンゼリゼ通りを ゆっくりと歩き、アメリカ大使館前の公園のベンチでこのノートを書いている。ベンチ で新聞や本を読む人、ただボンヤリと座っている人、そしてカップル。緑に囲まれて、 ただただゆっくりと時間の流れにまかせる。優雅だなあ。取材は実質3日間。今日の空 き時間を入れて滞在4日。  この日記にはテレサ取材に触発され、テレビの仕事を続けることの是非をふくめて、 さまざまな思いを書いている。ただ、いまに到って考えることは、時が過ぎゆくことで 得ることができた成熟があるとすれば、その思いをテレサと約束した彼女の人生を真剣 勝負で書ききることだという単純な結論だ。 -- -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 218.165.123.246
aqwerty:我有衝動想學日文了..快來高手幫翻XD 08/24 00:45