曾經大大撼動了 ACG 界的一件大事,總算到此落幕了吧......
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Wiki_宮崎勤
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4
宮﨑勤(みやざきつとむ、1962年8月21日 - 2008年6月17日)は東京・埼玉連続幼女
誘拐殺人事件(広域指定第117号事件)の犯人として逮捕、起訴され、死刑判決が確
定し、執行された人物である。
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【速報】連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚の死刑を執行
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080617-00000009-omn-soci
6月17日12時21分配信 オーマイニュース
連続幼女殺害事件で死刑が確定していた宮崎勤死刑囚(45)に対し法務省は17日、
東京拘置所で死刑を執行した。
宮崎死刑囚は1989年7月、東京都八王子市内で当時6歳だった、小学 1年生の少女へ
の猥褻(わいせつ)行為で逮捕。
その後1988年8月、埼玉県入間市で当時4歳だった幼稚園児を誘拐し殺害した事件に
始まり、同年10月には同県飯能市で当時7歳の小学校1年生の少女、同年12月には同
県川越市の当時4歳だった幼稚園を車で連れ去り、次々と殺害。1989年6月には東京
都江東区で当時 5歳だった保育園児を、車で連れ去って殺害し、頭部を切断した胴
体部分を埼玉県飯能市の宮沢湖霊園に遺棄するなどした一連の犯行を自供した(一
連の事件は警察庁により広域重要117号事件に指定された)。
1990年 3月から始まった裁判では、事実審理のほかに精神鑑定による責任能力が争
われた。
この時は人格障害は認められるものの、精神障害はなく責任能力を有するとした鑑
定結果のほか、統合失調症であるが責任能力はある、多重人格で責任能力はないと
いう3種類の鑑定書が出されたが、最終的に97年4月、東京地裁は責任能力ありとし
て死刑判決を言い渡した。
弁護側は判決を不服として即日控訴したが、2001年 6月、東京高裁は一審の死刑判
決を支持して弁護側の控訴を棄却。弁護側はさらに上告したが2006年 1月、最高裁
第3小法廷は上告を棄却。2006年2月に死刑が確定していた。
なお、同日宮崎死刑囚以外にも東京拘置所収監中で95年12月に風俗店経営者ら 2人
を殺害し、05年10月に死刑が確定した陸田真志(37)、大阪拘置所収監中で85年と
90年に主婦ら2人を保険金目的で殺害し、05年1月に死刑が確定した山崎義雄(73)
の2人の死刑囚も刑が執行された。
現在の鳩山邦夫法相に就任後、宮崎死刑囚の執行も含め13人の死刑囚の刑が執行さ
れている。
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NHK 報導
宮崎勤死刑囚に死刑執行
http://www3.nhk.or.jp/news/t10015291891000.html
鳩山法務大臣は、記者会見し、昭和63年から翌年にかけて埼玉と東京で起きた幼
女連続誘拐殺人事件で死刑が確定していた東京拘置所の宮崎勤死刑囚ら3人の死刑
囚に対して死刑を執行したと発表しました。鳩山法務大臣の下での死刑の執行は、
去年12月と、ことしの2月、4月に続いて4回目で、あわせて13人となりまし
た。
宮崎勤死刑囚(45)は、昭和63年から翌年にかけてのおよそ10か月間に、埼
玉と東京で当時4歳から7歳の幼い女の子4人を相次いで誘拐して殺害したとして
、平成18年に死刑が確定しており、17日午前、死刑が執行されました。事件で
は、遺骨を入れた段ボール箱や「今田勇子」と名乗る犯行声明文が家族や報道機関
に送りつけられるなど、幼い子どもを持つ親や社会に大きな衝撃を与えました。裁
判は、宮崎死刑囚の刑事責任が問えるか当時の精神状態をめぐって長期化し、事件
から最高裁判所の判決で死刑が確定するまで17年の歳月がかかりました。また、
昭和60年と平成2年に宮城県と徳島県で主婦ら2人を保険金目当てに殺害したと
して平成17年に死刑が確定した大阪拘置所の山崎義雄死刑囚(73)、平成7年
に東京の風俗店の経営者と店長を殺害し、経営者の通帳から4000万円を引き出
したとして平成17年に死刑が確定した東京拘置所の陸田真志死刑囚(37)の2
人に対しても死刑が執行されました。鳩山法務大臣の下での死刑の執行は、去年1
2月と、ことしの2月、4月に続いて4回目で、あわせて13人となりました。鳩
山法務大臣は、記者会見で「正義を実現し、法が支配する国を実現していくために
、粛々と死刑を執行している。慎重にも慎重に検討を加えた結果であり、死刑執行
のタイミングは意識していない」と述べました。また、記者団が「宮崎死刑囚の弁
護士が精神鑑定を要求していたが」と質問したのに対し、鳩山大臣は「そういう事
実があるのは知っているが、実際に再審請求は出されていない。裁判所は『宮崎死
刑囚に完全に責任能力がある』と認めており、その判断を覆す事由はないと判断し
て死刑を執行した」と述べました。宮崎勤死刑囚の死刑が執行されたことについて
、1審から裁判の傍聴を続けた作家の佐木隆三さんは「宮崎勤死刑囚に対しては怒
りの気持ちで傍聴を続けていた。終始とぼけた様子で、反省の色すらなかったこと
が強く印象に残っている。死刑が執行されたが、幼い女の子4人もの命が奪われた
という凶悪な事件を二度と起こしてはいけないことを、わたしたちは心に刻まなけ
ればいけない」と話しています。
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しかし﹑我〃は忘れてはならない。
理想を託し散っていった者達がいたことを。
この平和が多くの犧牲の上に成り立っていることを。
そして……
…かけがいのない﹑友と呼べる人がいることを……
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※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc)
◆ From: 203.204.196.51