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http://www.cyzo.com/2009/08/post_2668.html  8月22日、23日の武道館公演を成功させ、ついにシングル「言い訳Maybe」が 発売初日のデイリーチャート1位を記録したAKB48。だが、研究生を含め66人( 8月末現在)いるメンバーのなかから、この曲に参加しているのは21人のみ。 同じグループでありながら、メンバーはシングルに参加する"選抜メンバー"に 選ばれるために熾烈な生存競争に身をさらされ、切磋琢磨している。その中で 、最年長26歳というハンディを背負いながら、それを武器に変えて、自らの居 場所を切り開いてきた"めーたん"こと大堀恵がAKB48から初のエッセイを発売 。その名も『最下層アイドル あきらめなければ明日はある!』(WAVE出版) 。学生時代のイジメ、チームKメンバーとの絆、「1万枚売れなければ強制卒業 」の"大堀めしべ"の真相と家族崩壊の危機までを赤裸々に綴った大堀に、出版 への思いを聞いた。 ──最初に、今回の出版の経緯を教えてください。 大堀 「大堀恵の『受粉計画』今夜は、どうかしらぁ?」という、タイトルの ブログをやらせていただいていて、自分が感じたことを文章や写真で表現する のが、楽しいと感じていました。これを何かにつなげられないかと、書き留め ていたものが本になった感じです。 ──そもそも05年12月のAKB48結成当初は、めーたんは劇場併設カフェの店員 、通称"カフェっ娘"だった(現在はカフェはグッズショップに)。そこからオ ーディションでチームKに選ばれたものの、苦労の連続だったそうですね。 大堀 カフェにいて、いつもキラキラ輝いているチームAのメンバーを見て、 憧れていました。そしたらある日、突然一緒にカフェで働いていた篠田麻里子 ちゃん(チームAメンバー。雑誌「MORE」モデルとしても活躍)がメンバーに 選ばれたんです。「1日で人は変われるんだ!」って、びっくりしました。そ して次の第2期オーディションで、私はチームKに加入したんですが、メジャー デビューシングルの「会いたかった」発売の時に、私は選抜から漏れてしまい ました。カフェで働いていた経験がある分、ファンの方にも知られている私は 自信があったのに......。その日は、ご飯ものどを通らないし、お客さんの前 に立っても震えちゃって、本当に大変でした。 ──そして、チームAより後発のチームKには、ファンの風当たりも強い時期が あったとか。 大堀 Kには、私と干支が一回り違うまーちゃん(奥真奈美)もいるので、私 は母親役でもあったんです。ファンの方から「Kは(ファンに)甘えすぎなん だよ」と罵倒されたこともあって、そんな時に泣いているメンバーをかばうの が私の役目で。正直、自分のことは後回しになっていました。でも、AとKをシ ャッフルした「ひまわり組」を行うことになって、その時にファンの方から「 これでやっと自分のことだけ考えられるね」とファンレターをいただいて、本 当に励まされました。 ──K発足から1年3カ月後の07年7月からスタートしたA・Kシャッフルの「ひま わり組」公演。そこがめーたんの転機になった? 大堀 気がついたらアイドルとしての寿命があとわずかしかない! と思って 、そこからは、がむしゃらになりました。ダンスや歌ではほかのメンバーに負 けるかもしれないけど、私にはMCのトークがある(AKB48の劇場公演には2時間 の公演のうち5分ほどのトークコーナーが数回あり、毎回テーマトークやゲー ムで盛り上がる)。MC中ならファンの方も私のことを見てくれる。そこでちょ っとエッチな爆弾発言をして、ファンの皆さんの脳裏に焼き付けるようにして 、曲中もメンバーを押し倒したり、衣装を脱いで振り回したりして、暴走しち ゃいました。そんなセクシー路線がファンの方にはウケて、注目してくれる人 が増えたんです。秋元先生(秋元康総合プロデューサー)が劇場に来て下さっ た時も、今までは私のことなんて見てくれなかったのに、曲中に目で私を追っ てくれているのがわかったんです。そして、私のことを欲しいと言ってくれる 所属事務所も決まって、追い風が吹いてるなと思いました。 (後編につづく) -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 61.228.243.231
tliu223:好不容易出了書 結果剛要發售就宣布移籍了 08/30 02:33
wakayama:九把刀出到一半就去當兵了XD 08/30 02:35
link1111:當兵還是會從陰間復活的陽間的 秋肥出手就沒救了 08/30 12:45