作者NewYAWARA (朝霞之前奏)
看板AKB48
標題[閒聊] 大堀恵の処世術を大激白(前編)
時間Sat Aug 29 23:50:55 2009
http://www.cyzo.com/2009/08/post_2668.html
8月22日、23日の武道館公演を成功させ、ついにシングル「言い訳Maybe」が
発売初日のデイリーチャート1位を記録したAKB48。だが、研究生を含め66人(
8月末現在)いるメンバーのなかから、この曲に参加しているのは21人のみ。
同じグループでありながら、メンバーはシングルに参加する"選抜メンバー"に
選ばれるために熾烈な生存競争に身をさらされ、切磋琢磨している。その中で
、最年長26歳というハンディを背負いながら、それを武器に変えて、自らの居
場所を切り開いてきた"めーたん"こと大堀恵がAKB48から初のエッセイを発売
。その名も『最下層アイドル あきらめなければ明日はある!』(WAVE出版)
。学生時代のイジメ、チームKメンバーとの絆、「1万枚売れなければ強制卒業
」の"大堀めしべ"の真相と家族崩壊の危機までを赤裸々に綴った大堀に、出版
への思いを聞いた。
──最初に、今回の出版の経緯を教えてください。
大堀 「大堀恵の『受粉計画』今夜は、どうかしらぁ?」という、タイトルの
ブログをやらせていただいていて、自分が感じたことを文章や写真で表現する
のが、楽しいと感じていました。これを何かにつなげられないかと、書き留め
ていたものが本になった感じです。
──そもそも05年12月のAKB48結成当初は、めーたんは劇場併設カフェの店員
、通称"カフェっ娘"だった(現在はカフェはグッズショップに)。そこからオ
ーディションでチームKに選ばれたものの、苦労の連続だったそうですね。
大堀 カフェにいて、いつもキラキラ輝いているチームAのメンバーを見て、
憧れていました。そしたらある日、突然一緒にカフェで働いていた篠田麻里子
ちゃん(チームAメンバー。雑誌「MORE」モデルとしても活躍)がメンバーに
選ばれたんです。「1日で人は変われるんだ!」って、びっくりしました。そ
して次の第2期オーディションで、私はチームKに加入したんですが、メジャー
デビューシングルの「会いたかった」発売の時に、私は選抜から漏れてしまい
ました。カフェで働いていた経験がある分、ファンの方にも知られている私は
自信があったのに......。その日は、ご飯ものどを通らないし、お客さんの前
に立っても震えちゃって、本当に大変でした。
──そして、チームAより後発のチームKには、ファンの風当たりも強い時期が
あったとか。
大堀 Kには、私と干支が一回り違うまーちゃん(奥真奈美)もいるので、私
は母親役でもあったんです。ファンの方から「Kは(ファンに)甘えすぎなん
だよ」と罵倒されたこともあって、そんな時に泣いているメンバーをかばうの
が私の役目で。正直、自分のことは後回しになっていました。でも、AとKをシ
ャッフルした「ひまわり組」を行うことになって、その時にファンの方から「
これでやっと自分のことだけ考えられるね」とファンレターをいただいて、本
当に励まされました。
──K発足から1年3カ月後の07年7月からスタートしたA・Kシャッフルの「ひま
わり組」公演。そこがめーたんの転機になった?
大堀 気がついたらアイドルとしての寿命があとわずかしかない! と思って
、そこからは、がむしゃらになりました。ダンスや歌ではほかのメンバーに負
けるかもしれないけど、私にはMCのトークがある(AKB48の劇場公演には2時間
の公演のうち5分ほどのトークコーナーが数回あり、毎回テーマトークやゲー
ムで盛り上がる)。MC中ならファンの方も私のことを見てくれる。そこでちょ
っとエッチな爆弾発言をして、ファンの皆さんの脳裏に焼き付けるようにして
、曲中もメンバーを押し倒したり、衣装を脱いで振り回したりして、暴走しち
ゃいました。そんなセクシー路線がファンの方にはウケて、注目してくれる人
が増えたんです。秋元先生(秋元康総合プロデューサー)が劇場に来て下さっ
た時も、今までは私のことなんて見てくれなかったのに、曲中に目で私を追っ
てくれているのがわかったんです。そして、私のことを欲しいと言ってくれる
所属事務所も決まって、追い風が吹いてるなと思いました。
(後編につづく)
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