日記---西南戰爭相關......
明治10年為西南戰爭爆發之年。同年1月24日,明治天皇從海路往京都方向出發(京
都行幸)。前年辭去參議而現今擔任"内閣顧問"的木戶也隨同天皇同行。
28日到達京都後,隔日木戶記述到「胸、背疼痛,入夜後越來越痛」。
<30日,鹿兒島私學校生襲奪陸軍省火藥庫的彈藥>
木戶在2月5日的日記的記述觸及此事,對維新以來薩摩兵的驕慢感嘆。
鹿兒島不穏定的狀況在之後的日記也陸陸續續提到。
2月25日,西郷、桐野、篠原等之官位被削去,該日日記記道:
今日西郷隆盛桐野篠原等官位剥奪の御沙汰あり 余人は兎もあれ西郷隆盛は十二年前の
知人にて爾後同氏の国家に尽せしもの不少 忠実寡欲臨事有果断 只短なるものは当時
の形勢に暗く大体を見る能わずして疑惑其間に生じ一朝の奮怒を以亡其身損其名 実に
不堪歎惜 人世の大遺憾なり
十二年前は同氏の処置におゐては或は感し或は疑しもの亦なきこと能わず 甲子長州征
討の時は尾州を輔け参謀たり 然し同氏の悪意ならさるは十二年後交際におゐて氷解す
るものあり 当時も同氏の時勢を有不解者と想像せり 長州と薩州と合力同盟せしは余
と同氏と丙寅の歳於京都誓ひしを始とす 其よりして終に薩長同力戊辰一新の大業をな
せり 然して同氏今日の情態に至る 実に不忍語なり
「今日西郷隆盛、桐野利秋、篠原國幹等人之官位被削去。西郷隆盛是十二年來的老相識
,一同為國家盡力不少,是個忠實、寡欲、臨事果斷的男子,但缺點是無法看見大局,因
此,名譽受損、連身軀也將被討滅,實不堪嘆惜,為人世的大遺憾。第一次長州戰爭之際
,他雖協助尾張藩,但之後得知其無惡意,誤會也隨雙方的來往而冰釋了。薩長同盟是從
自己與西鄕於丙寅之歲在京都的立誓開始,基於該同盟,才成遂了維新之大業。然而,想
到其人今日之狀況,實不忍語。」
3月1日
陸軍卿代理全権は西郷従道なり 則隆盛の肉弟 今日此地位に立は余等の甚不喜ところ
なり 如何となれは大義滅親は不得止の語にして人生これをして決て快と云ふべからず
「陸軍卿由西鄕從道代理全權,其為西鄉隆盛之弟,今日其任此位吾人並不欣喜,就算是
大義滅親而不得已,人生至此也絕非快事。」
3月9日
兵隊の戦場に進むは当然の職務なれども不知々々惜別の情弥増不覚感涕を催せり
「兵隊向戰場前進是職務所當然,然而不知不覺惜別之情彌增而落淚了。」
(OS:貌似在車站給兵隊送行送著送著就情緒崩潰了…
讓我想到之前看到某醫學期刊論文的名稱……
木戸孝允の抑うつにみる日本的うつ病の形式--特にうつ病の病前性格論の観点から
我還是比較相信這只是文人式的誇張……)
4月18日
内務省の官員鉄面皮なるは元より不待言政府の形勢可想視なり
「内務省從來只對其他諸縣嚴格地執行政策,而鹿兒島縣就像是個獨立王國・・・・内務
省的官員真厚臉皮呀・・・」
(大久保:……)
4月19日
「胸痛,越來越不快。」
4月21日
「終日病臥。」
4月24日
昨日来病気尤不快を覚ふ 余平生骨を東山に埋るは宿意なり 胸部の病不癒を知らは安
然直に此地に留臥せんことを欲せり
「昨日來病痛特別不快,我已決定埋骨於東山,知道胸部之病不可能全癒後,希望就在此
地安然而終。」
4月25日
提到警視廳大警視川路派送的間諜中原尚雄的事…
実に今日の戦争殆二万に近き双方の死傷あり (略) 然して其元を推ば西郷隆盛数人
を大久保利通川路利良等暗殺する云々の一事に過きさるなり (略) もし彼等をして
一席に此事を詰論するとき事数人の間にとゝ゛まり無根の事なるときは忽了解し人民如
此惨毒を受るもの甚少し 実に不堪浩歎なり 故に余大久保利通に内務卿を引退し朝廷
の偏重を熟視し艱難の際当然の道理に必死尽力あらんことを望む
利通内務卿にして内政の定規を厳敷各県に履行せしむ 然して鹿児島県而已独り如独立
国敢て体面を不改藩政の時に類似するもの不少 (略)
利通も於如此際大に為天下尽力ありたき事と心思を屡摧くと雖も終に不徹底 利通亦行
政に得意の色あり 余と大に識見の異なる所以なり
「這次的戰爭,兩軍有近二萬的死傷者出現,民眾的家屋家財損失幾千萬円不得而知。然
而,歸根究柢也不過是因為有著”大久保、川路等人要暗殺西鄕”這樣的傳言罷了。要是
他們肯一同坐下來就此事加以澄清,就可瞬間領悟到此根本是無實的事,人民也不必受如
此慘毒的狀況了,實在不堪浩嘆。所以我才盡全力地希望大久保利通能自内務卿引退、對
至今為止的政治偏重審視反省。
利通内務卿就內政的政策嚴格要求各縣實行,然而獨獨鹿兒島縣仍如獨立國般不改尊大,
和藩政時期類似的事不少......
利通於如此時刻為天下大大盡力,屢屢透過強力手腕想讓事態如預期而行,雖然終究不徹
底,利通亦在行政面上屬得手,但和我的識見想法大異其趣。」
(OS:西南戰爭在木戶眼中只是薩摩內鬨的感覺...)
5月4日
今夜中病苦尤甚
5月6日(最後一日日記…)
晴 昨日来寒気徹病骨を覚ふ
湯浅(マゝ)純伊藤方成来診 古荘嘉門志方之勝昨夜熊本より帰り山田顕義の伝言を告
けり 〔両人とも皆熊本の士族なり〕 槙村正直国重正文杉孫七郎渡邊昇山中静逸井上
庸一岡義亮 〔明日より帰京〕 其他来客六名
大口屯集の賊兵蒲生に千余人其他各所に逐々相見へ今暁より賊三千計りイシキより谷山
の方繰出し只今も襲来の勢あり 守備厳重賊の来るを待つ 第四旅団も着し加治木へ廻
すの所一先当地へ上陸せり 当地におゐて開戦するは此後の所致幸ナルベシ 四日出電
報今日熊本より達せり 河村参軍 (欠八字位) 黒田清隆今日より帰京に付八代口日
記と戦地図を贈れり
晴 昨日來寒氣徹病骨
醫生來診。得知了山田顕義從熊本傳來的勝報,槙村正直、国重正文、杉孫七郎、渡邊昇
、山中静逸、井上庸一、岡義亮 〔明日歸京〕 其他來客六名
一些戰事描述… 黑田清隆今日歸京,贈來了八代口日記和戰地圖。
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三千世界のカラスも呆れる
※ 編輯: betty302 來自: 114.43.36.108 (07/31 17:22)
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推 aaee:辛苦 08/18 02:37