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円楽さん逝く…“国民的番組”笑点の司会23年 2009年10月31日06時03分 スポーツ報知  人気落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひ ろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため東京・中野区の長男の自宅で死去 した。76歳だった。「星の王子様」の愛称や日本テレビ系「笑点」などで、落語の枠 を超えた幅広い人気を獲得。05年に脳梗塞(こうそく)で倒れて以降は厳しい闘病生 活を送っていた。葬儀は11月4、5日に近親者だけで行い、後日お別れの会を開く。 喪主は妻・和子(かずこ)さん。  円楽さんが静かに人生の幕を下ろした。「星の王子様」が天国の星になった。  相次ぐ病魔と闘いながら07年に引退を表明した円楽さんは、昨年4月に肺がんの切 除手術を受けたが、今年5月に肺がんが再発。さらに9月に脳こうそくが再発し、右手 右足が不自由になっていた。最近は入退院を繰り返しながら、肺の治療や人工透析を受 けていたが、入院中の今月23日に「家に帰りたい」と訴え、同じ中野区内にある長男 で所属事務所社長の寛家(ひろいえ)さん(44)の家に戻っていた。  25日には2人の孫と一緒にNHK大河ドラマ「天地人」を楽しむなど元気な様子だ ったが、26日朝から体調が悪くなり、人工透析から帰宅した後は食事や会話もままな らないほどに衰弱。29日朝、妻・和子さん、寛家さんの妻と娘2人、医師、ヘルパー にみとられ静かに息を引き取った。  寛家さんによると、26日に体調不良で透析を早めに切り上げた円楽さんを病院に迎 えに行った際、「遅い」と一言ぼやいたのが最後の言葉になった。「落語には厳しかっ たが、家に帰ると180度変わって家族思いだった」と寛家さん。大好きな米大リーグ のヤンキースのワールドシリーズをテレビ観戦するのを楽しみにしていたが、孫からデ ィズニーシーに行く約束を迫られた時には「病状が分かっていたのか、決してうなずか なかった」という。  55年に6代目三遊亭円生さんに入門し、62年に真打ちに昇進した円楽さんは、寄 席にとどまらず、落語を国民的な娯楽に押し上げた。66年に「笑点」で落語家がテレ ビに進出する先べんをつけた。周囲のやゆにも「今の大衆娯楽はテレビ。落語を好事家 だけのものにしてはならない」と反論。83年から06年まで司会を務め、引退後は孫 と一緒に同番組を見るのを楽しみにしていた。  一方で芸に対しては確固たる信念を持ち続けた。77年には落語一筋に打ち込みたい と「笑点」を一時降板。78年には真打ち制度のあり方を巡って、円生さんと共に落語 協会を脱退した。師匠の死後は7億円を投じて自前の寄席「若竹」を設立したが、客足 が伸びず約5年で閉館の憂き目にあった。病と闘いながら07年2月には最後の高座に 上がり、大作「芝浜」を熱演。周囲からは惜しむ声も上がったが、「ろれつが回らない 」「また恥をかきたくない」と潔く引退を表明した。  「円楽」の名跡は来年、楽太郎が受け継ぐ。「名前を譲ることが決まった後は肩の荷 が下りたのか落語の話はほとんどしなかった」と寛家さん。落語にすべてをささげた円 楽さんは「お後がよろしいようで」と76年の人生を締めくくった。 東京・台東区生まれ。埼玉・杉戸農学校卒業後、落語に出会い、55年6代目円生に入 門。58年二つ目、62年5代目円楽を襲名し、真打ちに。66年「笑点」第1回から 出演。77年番組卒業するも83年4代目司会として復帰。芸術祭優秀賞(77年)、 放送大賞(80年)、旭日小綬章叙勲(07年)など受賞多数。趣味は読書、マージャ ン、囲碁。和子夫人との間に1男1女。身長177センチ、体重80キロ。血液型AB 。 新聞來源(附圖):http://0rz.tw/gFEUp ----------------------------------------------------------------------------- 円楽師匠、極楽へ…76歳肺がんで死去 2009年10月31日05:07 SANSPO.COM  人情話が得意で演芸番組「笑点」の司会でも親しまれた落語家、三遊亭円楽さんが2 9日午前8時15分、肺がんのため東京・中野区の長男宅で死去した。76歳。若いこ ろは「星の王子さま」などのキャッチフレーズで一躍お茶の間の人気者となったが、落 語への思いはアツく私財6億円を投じて寄席を建てたことも。晩年は脳こうそくやがん などの病魔に襲われ、07年に“現役引退”していた。  「息を吸う間隔が遅くなって、呼吸が止まっていきました」  30日夕、東京・中野区の円楽さんの自宅前で応対した長男で個人事務所「若竹カン パニー」社長の吉河寛家さん(44)によると、円楽さんは29日朝、妻の和子さん( 76)と吉河さん一家4人、担当医師、ホームヘルパーに見守られて療養していた同区 内の吉河さん宅で静かに息を引き取った。  訃報が伝わった30日には報道陣約50人や花束を抱えた弔問客が訪れ、春風亭小朝 (54)も30日未明に駆け付けたという。  25日は2人の孫らとNHK大河ドラマ「天地人」を見るなど元気だった。26日に 病院で定期的な人工透析を受けて戻った後、食事を摂れない状態に。吉河さんは「前に も同じようなことがあり、重大な事態と思わなかった…」と声を震わせた。  07年11月に胃がん、昨年4月に肺がんの摘出手術を受けたが、今年5月に肺がん 再発が判明。9月に入院した後に脳こうそくを発症し右手右足が麻痺状態に。その後入 院と一時帰宅を繰り返しながら、今月23日から吉河さん宅に身を寄せた。円楽さん宅 では右半身が不自由な主のため上下可動する車いす用リフトの設置を発注しており、完 成したのはくしくも死去翌日の30日だった。  弟子の三遊亭楽太郎(59)が来春に円楽を襲名するため、「肩の荷が下りたようで 、落語の話は最近はほとんどしなかった」と吉河さん。ただ落語家人生と切っても切り 離せない日本テレビ系「笑点」は楽しみにしており、司会で盟友の桂歌丸(73)のこ とを気にかけていたという。  66年からの「笑点」でブレーク。「星の王子さま」「湯上がりの男」などのキャッ チフレーズを自ら考案するなど人気者となる一方で、芸に集中するため77年に「笑点 」を卒業するなどタレント的活動自粛に踏み切った。78年に落語協会を脱退したり、 85年に自ら寄席「若竹」を開設するなど“硬骨漢”の一面も。  幼少期に患った腎臓病の影響で長年人工透析を余儀なくされた。05年に脳こうそく で倒れて以降は、83年から司会で復帰した「笑点」も06年に降板、第一線から退い ていた。硬派の落語家も、病魔には勝てなかった。 新聞來源(組圖):http://0rz.tw/mlpZQ -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 218.163.155.7