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水野晴郎さん死去…映画に生涯ささげた  映画評論家・水野晴郎(本名・山下奉大=やました・ともひろ)さんが10日午後3 時5分、肝不全のため入院先の都内の病院で亡くなった。76歳だった。水野さんは5 0年代から映画宣伝マンとして活躍。日テレ系「金曜ロードショー」の司会として「い やあ~、映画って本当にいいもんですね」の名言を残した。一方、映画監督として「シ ベリア超特急」シリーズをライフワークとし、生涯を映画にささげた。通夜・葬儀は親 族で営み、7月17日に都内でしのぶ会を行う。  水野さんは4月22日に東銀座の歌舞伎座前の路上で転倒。頭を強く打っていたため 、都内の病院に検査入院したが、その後、容体が悪化。9日には意識がもうろうとし、 10日には危篤状態に。最期は弟3人、妹の肉親にみとられた。  20年ほど前から肝臓を悪くし、肝硬変の治療を行っていた。04年3月には映画撮 影中に転倒し、背骨や手首など6か所を骨折。骨粗しょう症を患い、06年2月には自 宅で吐血して意識不明になるなど、ここ数年は病気やけがに悩まされており、昨年12 月から入退院を繰り返していた。  息を引き取る瞬間まで映画に対して情熱を傾けていた。MIKE・MIZUNOとし て監督を務め、“シベ超”シリーズの最終作と位置づけた「シベリア超特急 旅路」の 台本を病院に持ち込み、演出プランなどを書き込んだ。ペンが持てなくなっても、弟子 に口述筆記させた。昨年10月のクランクイン予定が自らの体調のため延期。来春の撮 影開始を目指し、「早く退院して映画を撮りたい」と言い続けた。  水野さんは岡山の郵便局員から上京し、56年に映画会社「20世紀フォックス」に アルバイトとして入社。以後、敏腕宣伝マンとして活躍し、72年には日本テレビ系「 金曜ロードショー」の司会を担当し評論家に。そして監督へ。ポジションは変わっても 半世紀以上、映画にかかわり続けてきた。  “シベ超”シリーズで主演の山下泰文陸軍大将役を演じたのは映画「落陽」で山下大 将役を演じる際に遺族に会い、反戦論者だったことを知ったことがきっかけ。一部マニ アに熱烈に支持を受けたが、本人は至ってまじめに「少年期の満州での経験を生かした 反戦映画」というポリシーを曲げず、昨年には本名を「水野和夫」から山下大将にあや かり「山下奉大」に改名するなど生きざまに心酔していた。  04年には秋田初のシネコンをプロデュースしたものの経営難で裁判ざたに。それで も本人の情熱は衰えず、井原西鶴の「好色五人女」の映画化を企画。島田洋七(57) が監督を務める「佐賀のがばいばあちゃん」の宣伝を引き受けるなど、後輩に力を貸す ことを惜しまなかった。生前から、長年苦楽をともにした弟、妹ら親族だけでの密葬を 希望していた水野さん。最後まで映画にささげた人生が静かに幕を閉じた。  ◆水野 晴郎(みずの・はるお)本名・山下奉大(ともひろ)。1931年7月19 日、岡山生まれ。2歳で満州(現中国東北地方)に渡り、モンゴル、中国各地を転々と して、終戦後に帰国。56年に20世紀フォックスにアルバイトとして勤め、映画宣伝 を行う。その後、日本ユナイト映画の宣伝部長を経てフリーに。映画評論家として日テ レ系「金曜ロードショー」(旧・水曜ロードショー)のレギュラーを25年務める。そ の後は、「シベリア超特急」シリーズで映画監督にも挑戦した。83年当時の新自由ク ラブから参院選に出馬したが落選した。内外の警察事情にも詳しく「世界の警察」など の著書がある。 (2008年6月12日06時04分 スポーツ報知) http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080612-OHT1T00072.htm -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 218.169.197.66