精華區beta Japandrama 關於我們 聯絡資訊
VOL2. 最高の恩師に出会えた桐蔭学園中学時代 2007.07.25 http://www.soccer-m.ne.jp/soccerdays/mizushima-02.html 中学校入学と同時に帰国するんですが、幼稚園の最後からずっとスイスだったので日本 語が全然できなかったんです。だから帰国子女枠で受験できる学校を探していくつか受 けたんですが、やっぱり試験の中に国語があって…問題が読めないのに解ける訳がない (笑)。そんな中で唯一受かったのが桐蔭学園中学でした。 入学後すぐ「サッカー部に入ろう!」と思ったら、当時のサッカー部には入部テストが あったんです。テストは入りたい人がバ~ッっと集まって、ポジションごとに分かれて ひたすら試合。入部できる人は監督から呼ばれて、呼ばれなかった人は同好会に入ると いうシビアなものでした。結局1学年で5~10人しか入部できない狭き門だったので、入 れてよかったですね。 ただ入部できたところで、幼稚園レベルで止まっていた日本語が上達した訳ではないの で苦労しました。なかでも上級生に対する敬語が一番難しくて、初めての練習の日、先 輩に対して「すっげーヘタクソだな」って言っちゃったんです(笑)。そのくらいは自己 主張の激しいスイスでは当たり前でしたし、ちょっと冗談の意味も込めて言ったから何 で怒られるのか分からなくて。でもその日から「あいつをやっちまえ」じゃないですけ ど目をつけられました(笑)。 桐蔭学園中学は全国で優勝を狙えるチームだったので、練習は厳しかったですよ。1年 生からレギュラーポジションを全員で争う毎日ですから1日1日が勝負でした。毎日実力 を見極められるような練習があって、そこでアピールできなければ試合に出られないん です。先輩からしたら僕なんて、「体格が良くて生意気だからつぶしておこう」という ターゲットだったで大変でしたね。ただ、監督が日本語を教えてくれたお陰でだんだん 意思疎通できるようになっていいプレイができるようになりました。当時の監督は、サ ッカー推薦ではない普通のメンバーを全国優勝が狙えるレベルにまで引き上げたすごい 方だったんです。厳しい中にも愛情があって、本当にお世話になりました。 その監督に何とか全国優勝をプレゼントしたいと思ってやっていましたが、中2でも中3 でも準優勝でした。特に3年生の時は準決勝で左肩を脱臼してしまって、決勝はテーピ ングでガチガチに固めて出場したんです。全く力が入らなかったし、過密日程で疲労も ピークだったし、もうちょっと僕がやれていれば勝てたのに…って。しかもオウンゴー ルで負けてしまったので悔しかったですね。みんなにとって最高の監督だったから、試 合後は全員で大泣きしました。監督も僕たちが高校へ進んでしまうのが嫌で、「高校で も指導したい」と言ってくれて感動したのを鮮明に覚えています。