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紅白のMISIAに感じた、“うますぎる歌”に足りないもの
早くから心配されていましたが、昨年の紅白は、例年以上に不発でした。唯一面白かっ
たのは、Superflyがオジー・オズボーンに見えて仕方なかったことぐらい。
トップクラスの歌唱力だけど……
そんな中、平和祈念像前から「オルフェンズの涙」を披露したMISIAには、考えさせ
られるものがありました。というのも、デビューから現在に至るまで、どんな種類の曲
もいっしょに聴こえることが、ずっと引っかかっていたからです。
豊かな声量や広い音域が、今回出場した中でもトップクラスだったのは言うまでもな
い。フィジカルな面で言えば、申し分のない資質の持ち主でしょう。しかし残念なこと
に、その圧倒的な歌が、曲の中で有機的にあらわれてこないのですね。
確かに、ピッチは安定して、詞の発音もクリア。テロップを見るまでもなく、頭の中
で文字起こしできてしまう。にもかかわらず、ひとつひとつのフレーズが、各々の曲に
ふさわしい固有のニュアンスを持つに至らない。
愛をささやくのも、モチベ─ターとしてエールを送るのも、そして今回のように平和
を祈るのも、同じベクトルの上で発声されている。
たとえば、<欲しいのはあなた>(「Everything」)と、<あなたに 伝えたいことば
かり>(「BELIEVE」)の "あなた" には、異なるキャラクターが投影されているはず
なのですが、それが歌に乗り移ってこない。どちらも、同等に健全な正確さでもって、
音楽的にも発話的にも表現されている。
悪い意味でそれを再現する能力が、ずば抜けているのです。つまり、彼女の力が際立
つほど、肝心の曲が素通りしてしまうのですね。
“正しい”歌と、心動かされる歌の違い
そうした技術それ自体は、当然ながらギフトだと言えるでしょう。しかし、それらは
、あくまでも限定的な曲芸に過ぎません。
数値に換算して確かめられる程度の正解だったり、精密な部品としての機能を保証し
たりするものではあっても、情操を司り、ただの音符や文字の連なり以上の価値を打ち
出す能力とは違う。
それを前提としながらも、一線を越えて聴き手に詰め寄る力を持つ人こそ、歌手と呼
べるのではないでしょうか。
「オルフェンズの涙」には、<ブルース>という単語が6回ほど登場します。そして
、それを含むフレーズには、ご丁寧にも「This Masquerade(※)」のようなメロディ
があてがわれていた。けれども、そこに "ブルース" を感じさせる瞬間は、一音たりと
もありませんでした。なぜなら、MISIAの歌が、あまりにも正しかったからです。
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