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一番目は褚遂良が臨書したと思われる蘭亭で、この文章からすると、結局これは米芾の 手に入らなかったことになる。二番目は王献之の「送梨帖」についての記載で、これも この文章を読む限りでは入手をできなかったものである。三番目は王羲之の「王略帖」 についてで、最終的に米芾の手に入ったものの、古跋がちぐはぐにされてしまっている 無念さを訴えている。三つの文章とも、入手にいたるまでの苦悩が描き出されている。 こうしてようやく手に入れたものは、ずっと自分の手元に残し、収蔵するということが 可能ではあるが、米芾自身は、色々と新しいものを果敢に入手するという方法を好んだ 。それは次に示す文章に明確である。 そうしたことを繰り返すと、一回手に入れても、それを手放してしまえば、もう二度と 見ることができなくなる可能性が高いわけである。だが、一回入手したものを永遠に自 分のものにする方法が存在する。それは摸本・臨本・刻帖を作成するということであっ た。 第一則是被認為褚遂良所臨的《蘭亭集序》,從文章看來,最後此卷並未入藏米芾之手; 第二則乃王獻之《送梨帖》的相關記載,單就文句所見,其亦未能藏收此帖;第三則是關 於王羲之《王略帖》,蓋最後落入米芾藏篋者也,引文中亦陳說對帖後古跋參差不協調的 懊悔不迭。這三則載錄,都描繪出收得書畫前的苦惱萬狀。 總而言之,收藏之道就是:一定要在經濟上有餘裕,收藏才是可能的。米芾個人偏好勇於 藏收多樣與新奇之物,在下列載錄中就很明確顯示: 正因為如此往復,就算這次收得,一旦這樣就賣掉的話,其無法再度得見的可能性很高。 然而,將首次入藏之物永為己有的方法,是存在可及的。蓋模本、臨本、刻帖之製成即是 。 麻煩大家了。。。謝謝。 -- 附上他用的引文 王羲之桓公破羗帖、有開元印。唐懐充跋、「筆法入神」。在蘇之純家。之純卒、其家定 直久許見帰。而余使西京未還、宗室仲爰力取之。且要約曰、「米帰有其直見帰還」。余 遂典衣以增其直取回。仲爰己使庸工装背、剪損古跋尾参差矣。痛惜痛惜。 書畫不可論價、士人難以貨取、所以書畫博易、自是雅致。今人収一物、與性命倶、大可 笑。人生適目之事、看久即厭、時易新玩、両適其欲、乃之達者。 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 218.166.152.121 ※ 編輯: sory 來自: 218.166.152.121 (11/21 07:25)