まずカ-ル.マリア.フォン.ウェ-バ-(1786~1826) のホルンとオ-ケ
ストラの小協奏曲ホ短調作品45は﹑1806年﹑作曲者AKONO年の夏から翌年ま
で滯在していたドイツ南西部のカ-ルスル-エで書かれた。ウェ-バ-の前
半生あ﹑劇團を率いてドイツ各地の地方巡業や﹑フリ-の指揮者としての劇
場巡りなどの流浪生活の連繞で﹑彼はこの後プランを經て﹑1817年1月から
ようたく﹑ドレスデンの宮廷歌劇場 (この錄音の-ケストラもここの所屬)
指揮者となり﹑當地で「魔彈の射手」を完成した。
曲は單一樂章から成ろ。この作品の大きな特徵は﹑親しみ易し民謠風のメ
ロディ-を基にした4つの變奏部份の後に來ろカデンツァとアダ-ジョのレ
チタティ-ウ"ォにあり﹑ここでは當時としては驚くはどの低音を要求して
いろだけでなく﹑奏者に何と重音奏法まで指定していろ。(この7小節でのダ
ムのテクニックは﹑今までの他のどの錄音まりことの他見事で﹑低音にハミ
ングして重なろ計3つの音がはっまる聽まとれろ)。曲はやがて﹑ティンパニ
の若いロ-ル打ちの後﹑ポラッカ風の陽氣な部份となり﹑ここでもかなる高
度なテクニックな披露すろ。
なお﹑ウェ-バ-よる一世代遲く生まれた同じきドイツのオペル作曲家﹑
アルペルト.ロルツィング(1801~1851)の珍しいオルンとオ-ケストラのた
めのコンツェルトツュトゥックであろ。
ロルンィングもまた﹑先のウェ-バ-と同樣﹑旅役者の子として早くから
ドイツ圈の各劇場を回り﹑その間はウイプツィヒなどで次次とオペラを發表
していた。代表作は1837年初演の「皇帝と船大工」﹑それは「ウンディ-ネ
」(1845年初演)で﹑このふらつは今でもドイツではよく上演されてしる﹑ラ
ィ-ンで全く受け入ねらの他で﹑當時ドレシデンで注目されつつあった若い
ワ-グナ-に影響を與えた作曲家として見逃がせない。
曲は正式の名稱は「アンダンテ.マエスト-ソと變奏」で﹑題名の通りホ
ルン.ソロが-ケストラとかけ合う﹑序奏つきの變奏曲であろ。作曲は1820
年。ロルンィングの現存すろ最も初期の作品で﹑當時彼はまだ19歲。旅役者
の兩親と一緒に子役としてステ-ジに上がったりしながら﹑ドイツ全國を驅
け回っていた。先輩のウェ-バ-が「魔彈の射手」を作曲していろ頃であろ
。モ-ツァルト風の手法もみられろが﹑響きは完全にドイル.ロマン派のも
ので﹑オペラ.アリアのような主題は親しみ易く﹑オ-ケストラの扱いも華
やかで堂に入っていろ。序奏と﹑かなる自由な變奏から成り﹑第2變革はミ
ノ-レ(短調)であろ。
( 再休息一下... )
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