精華區beta SeibuLions 關於我們 聯絡資訊
伊東勤新監督(42)が率いる西武が、前年覇者ダイエーとの激闘を制し2年ぶり15 度目のリーグ優勝を果たした。パ・リーグは今季からプレーオフ制を導入。西武はレギ ュラーシーズンで1位ダイエーに4・5ゲーム差の2位だったが、第1ステージで3位 日本ハムを、第2ステージでダイエーを3勝2敗で撃破した。現役時代に広岡、森、東 尾、伊原各監督の下で14度のリーグ制覇した経験を生かして、史上初の、現役引退翌 年の監督Vを成し遂げた。同じく就任1年目で5年ぶりにセ・リーグを制した中日落合 博満監督(50)と16日からの日本シリーズで対決する。  勝った。万歳する石井貴のもとにナインが全力でかけていく。伊東監督は笑顔だが、 ゆっくりと歓喜の輪に近寄った。初舞いは4度。成長した選手の手に、体を委ねた。「 1試合1試合、力を付けてくれた選手たちのおかげです。全員で頑張ったということ。 最後はみんな楽しんでました。(胴上げは)素直に輪の中に入っていくのは抵抗があっ た。自分を冷静に見ている自分がいた」。夢心地になる余裕さえなかった。  死闘だった。松坂が4回、城島に先制弾を浴び、ぐらつく。直後に2死一塁からズレ ータに右中間二塁打を許すが、鉄壁の中継が追加点を許さない。5回にも補殺でしのぐ 。2月のキャンプ中「練習のための練習はするな」と言い続けてきた結果がここにある 。指揮官が掲げてきた「負けない野球」の集大成だった。  人材活用と捕手の目がある。6回表1死満塁では、2打数無安打の貝塚に替え、代打 石井義。思い切ったさい配が逆転二塁打につながる。劣勢に転じた10回表、後半戦に 1軍昇格した犬伏が決勝犠飛。最後は先発要因の石井貴が締めた。ベテラン犬伏の勝負 強さと、“投手会長”である石井貴の責任感に託した。  開幕前はBクラスの声もあった。だが「二十何年間かライオンズにお世話になって、 選手の力は把握していた。周りの評価よりも高い能力があると確信していた」という。 正捕手の育成、松井(現メッツ)の抜けた遊撃と1番、オープン戦で骨折したカブレラ の穴。だが22歳の中島を1年間使い切る目と信念が、ナイン全体にも通じていた。  4人の監督に仕えてきた。私生活まで厳しく管理した広岡監督。「勝つために何をす るか常に考えておられた」と、基本の反復練習の重要性を教わった。だが監督として選 手を束縛しなかった。2日試合がないときに敵地入りした場合、即日練習し、翌日はオ フ。その時間設定を知ったダイエー城島は「さすが現役に近い監督」と感心した。  森監督からは同じ捕手として英才教育を受けた。「常に先のことを考えておられた」 という。8回、小野寺と抑え豊田の投手交代でも先手を打った。フィールド内だけでは ない。星野球団代表は「こっちが試合を見ていて少し選手がたるんでいると感じると試 合後、監督の方から『今日はすみませんでした』と何度も言ってきた。必ず先に来るん だ」という。現場の最高責任者として矢面に立った。  東尾、伊原両監督からは「選手起用」を学んだ。その中で「ここという時はベテラン の力が必要。功績をたたえてあげないと」と話す。引退を決意した潮崎には、9月17 日に遠征先の福岡からすぐに電話した。「おれは何もしてやれなかった。(引退登板は )思い切って投げてくれ」と伝えた。力の限界を感じた選手にさえ敬意を表した。  4人の監督から吸収し、排除した伊東イズムが最後に結実した。中日との日本シリー ズ。「正直、何も考えられない状態。今は興奮していますから。ただ僕は負けることが 大嫌いですから、勝つことを信じて頑張りたい」。泰然自若の姿勢は、最後の決戦でも 変わらない。【今井貴久】 〔2004/10/12/09:35 紙面から〕