<日本シリーズ:西武7-2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
42歳の青年監督が5度、宙に舞った。ヤングレオ軍団を率いる、伊東勤監督の「一
丸野球」が開花した。3勝3敗の五分で迎えた敵地での最終決戦。3回にカブレラの1
発などで5点を先制。投げては先発石井貴が6回無失点でシリーズ2勝目。8回からは
エース松坂を連投で起用し、最後は守護神・豊田を投入する豪華リレーで逃げ切った。
50年ぶり日本一をもくろんだ中日を打ち砕き、西武が12年ぶり12度目の頂点に。
球界再編で揺れた04年シーズンの幕が下りた。
カブレラがウイニングボールをつかむ。ナインがマウンドに駆け寄る。伊東監督は、
少し遅れて歓喜の輪に向かった。ナゴヤドームの天井が、近づいては離れて行く。2度
目の胴上げは5度。リーグ優勝より1回多い浮遊感覚に、すべての疲れが吹き飛んでい
た。
普段は冷静な指揮官が、お立ち台で最後に雄たけびを上げた。「勝ったぞー!」。就
任1年目の伊東監督が日本一を奪い取った。リーグ2位から2度のプレーオフを勝ち抜
き、中日も撃破。それもすべて最終戦にもつれこむ死闘だ。選手時代に7度、味わった
頂点の座。チーム12年ぶり、監督として初めて味わう美酒は、格別のものだった。
少し声を詰まらせながら振り返る。「ここまで来るには日本ハムに勝ちまして、ダイ
エーにも。感謝してますし、シリーズの中日にも感謝してます。今ここにいることが信
じられないんですが、感謝したいと思います」。最も好きな「感謝」という言葉が、何
度も口をついて出た。
悔いは残したくない。できることは、すべてやる。シリーズ中、関係者に投打走とも
「中日が上」と吐露していた。だからこそ石橋をたたく継投に出た。前日134球を投
げた松坂を8回から投入した。「あの点差だったけど、早めにトヨ(豊田)の前につな
ごうと思っていた」。シーズン中には考えられない仰天継投は、信頼感の高い投手を逆
算して投入する、熟慮の末の采配だった。
00年4月23日。選手として2000試合出場を達成した試合で、松坂の球を受け
た。試合後、野球人としての「喜び」について「最近は松坂くんとバッテリーを組むこ
とかな」と言っている。常勝時代、幾多の名投手の球を受けてきたが「(松坂は)5本
の指に入る」。日本球界を背負うエースになってもらいたい、最高の喜びを味わわせた
い-。チームを支えてくれた右腕への、感謝の連投指令でもあった。
チーム初の生え抜き監督だった。昨年10月、堤オーナーと会談した際「ずっとやっ
ていただいた方がいいと思います」と“永久政権”を示唆された。その直後、堤氏は球
団関係者に「私が伊東をかわいがっていることが伝わっただろうか」と、もらしている
。愛情を注がれたが、西武鉄道の問題で、同オーナーは今シリーズ後の辞任を表明して
いた。日本一が、せめてもの恩返し、そして「感謝」のしるしだった。
148試合目。シビアな日々が終わった。「すべてうまくいったというか。選手たち
が、ついてきてくれたというか、それに尽きると思います」と選手をほめあげた。2位
からの日本一は、常勝復活の始まりを予感させる。いくつもの課題を克服しながら、強
くなってきたヤングレオ軍団。伊東監督の心は、ファン、そして選手への感謝の念であ
ふれていたに違いない。【今井貴久】
〔2004/10/26/09:09 紙面から〕