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日本における不拡散的輸出管理(Nonproliferation Export Controls in Japan) リチャードT. キューピット 序 戦後日本のリーダー達は、20世紀前半の軍国主義がもたらした国内外の荒廃した結果に 対する強い反省から、国家安全保障手段を用いることに強く反対する文化的規範を作り 上げることに成功してきた。日本国平和憲法はその第9条で、国際紛争を解決する手段 としての武力行使を放棄するのみならず、防衛のための軍事力の行使をも厳格に制限し ているのである。過去数十年の間、地域安全保障への日本国としての軍事的貢献に関す るあいまいきわまりない政府関係者の発言は、日本国内で(時には国外で)、様々な反 対運動を誘発してきた。 こうした日本の反軍事的文化規範は、武器輸出に関する貿易政策との間にも明 瞭な合致が見られる。1950年代、日本経済の将来へ向けた防衛産業の役割についての討 論が様々な方向からなされていた。しかし、反軍国主義一辺倒の野党からの強い反対圧 力と、ヴェトナム戦争中のアメリカへの軍事サポートは日本を戦争に巻き込むかもしれ ないという恐れから、1960年代中頃までに、自民党のリーダー達の意見は武器輸出反対 という方向へ傾いていった。最終的には、1967年4月の佐藤栄作首相(当時)の「武器 輸出三原則」提言により、その後の日本の政策が固まった。この原則のもと日本は、共 産主義国、国連決議による通商禁止中の国、そして国際紛争中または国際紛争へ発展す る恐れのある国などに対し、武器輸出を自粛する決定をした。さらに1976年2月、三木 武夫首相(当時)の提言により、上記の国々以外へも、そして武器製品に成りうる関連 製品に関しても輸出規制強化がなされた。 一方で、米軍による保護のもとで、戦後日本政府は専念的に経済成長を第一の 国家目標としてきた。特に輸出産業は経済繁栄の源として政府により後押しされてきた 。例えば、1952年9月、日本がCOCOM(対共産圏輸出規制委員会、以下COCOM)に入会し た時でさえ、日本政府関係者や官僚達は対中国(中華人民共和国、以下中国)貿易の制 限を弱めるよう明らかに働きかけていた。こうした国家政策ともとに、その後日本は、 特にハイテク製品を中心とした輸出型経済大国へと成長していった。 しかしながら、ここ数十年、軍需と民需の製品に区別をつけるのがますます難 しくなってきた。さらに、多くの製品分野で、先進技術を駆使した民需製品は軍需製品 への転用が容易になった。軍民両用の製品、技術、そしてサービスは、武器のみならず 兵站システムなどに欠くことのできない存在になりつつあり、そのことは武器輸出を特 別視する日本の国家政策の意味付けを弱めることにもなっている。 そうした日本の軍民両用になりうる製品の輸出は、比較的古くから、多岐にわ たっている。例えば、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国、以下北朝鮮)は、日本製の自 家用車を輸入し、それを自走式のロケットランチャーに技術転用していると報告されて いる。南アフリカ軍が日本製のオフロード車を軍事的に活用しているのと同様に、他に も世界の幾つかの国々や国連軍も日本製の四輪駆動車を軍事パトロールに使用している 。日本企業はアメリカの防衛コングロマリットに技術移転をすることに躊躇気味ではあ るが、1983年、日本政府は「武器輸出三原則」を文字通りに解釈することにより、アメ リカへの技術移転をしぶしぶながら認めた。 日本にとってのより大きな頭痛の種は、戦略的な先進技術の武器システムに転 用可能な高品質軍民両用製品等の輸出である。その最も有名(悪名)なケースである東 芝?コングスバーグ事件は、アメリカ中に日本に対する不信感を募らせ、その結果、東 芝機器は制裁を受けることになった。この経験から、日本は国家安全保障輸出管理シス テムの改善に本格的に着手することをはじめた。もともと日本はCOCOMや、オーストラ リアグループ、MTCR(ミサイル技術輸出管理レジーム、以下MTCR)、NSG(核技術提供 者グループ、以下NSG)などに加盟していたが、東芝ショックによるこの改善が冷戦後 の日本の不拡散的輸出管理政策の基礎になっている。 日本における輸出管理の諸要素 広島、長崎の悪夢の後、日本全土は、無条件降伏という文化の根底から揺るが すほどの衝撃に見まれていた。数十年の後、日本軍による生物・化学兵器プログラムの 存在やその他のおぞましい事実の露見は日本国内外で反響を巻き起こしてきた。おそら く、二度と繰り返すまいという歴史の反省に立った日本のこの見解が、不拡散政策に対 し強い社会的支援を得させてきたのである。1990年代に入っても、フランスや中国によ る核実験の強行や、1995年3月の東京での地下鉄サリン事件(加えてオウム真理教の驚 くべき様々な計画の発覚)、さらに近年では、サリンの化合物であるフッ化ナトリウム や水酸化フッ素などの北朝鮮に対する密輸事件などが、日本の不拡散に対する立場を強 固のままにすべきだという社会的見解を維持させる助けをしている。 日本の核政策の基本とすべく、1968年、佐藤栄作首相(当時)は「作らず、持たず、持 ち込ませず」という「非核三原則」を表明した。1971年11月、国会でこの「非核三原則 」は正式に可決され、さらに1976年6月には、将来の核兵器保有を否定し、非核国家と してNPT(核不拡散条約、以下NPT)に批准するまでにいたっている。その後も日本は、 1995年のNPTやCTBT(包括的核実験禁止条約、以下CTBT)の無期限延長の支援や、1998 年5月ジェノバでの核分裂性物質使用禁止条約のための技術研修会の主催、1998年8月に は軍備縮小のための国連特別臨時集会開催の支援など、様々なかたちで積極的に活動し ている。 日本政府は継続的に核軍備縮小が条約参加の究極の義務であるということをNPT参加国 に思い起こさせている。1994年と1995年には、核兵器の使用は国際法違反であるという 訴えを国際法廷に提出している。さらに南アジアでの突然の核兵器強行演習をうけて、 日本政府は核不拡散と軍備縮小活動に向けた緊急会議開催のための日本国際問題研究所 の緊急活動フォーラムを設置した。 化学兵器に関して、日本は1995年9月、CWC(化学兵器協定、以下CWC)を裁可 し、速やかにCWCの諸義務を実行に移している。1995年3月30日には、国会で化学兵器法 案(通産省により起草)が通過していた。同年5月に実施されたこの化学兵器やサリン を含む様々な危険な化学薬品に関する法律は、CWCが施行されるまでの間、効力を発揮 していた。生物兵器に関しても、日本はBWC(生物兵器協約、以下BWC)によって法制上 の手続きを明確化した上、その権威を強めるといった努力をしている。また通常兵器不 拡散に関しても、日本は独自の「輸出三原則」を守るのみならず、1992年1月には国連 通常兵器登録制度の立ち上げに主導的立場をとり、アジア太平洋地域におけるこの制度 確立に向け先導的役割をはたしている。 日本のこうした意向の最も明確なサインは、1991年に改善されたODA(政府開 発援助、以下ODA)憲章の中に見られる。その憲章の四つの新しいガイドラインの中に 、不拡散政策受諾が、ODA対象の条件になる、と謳われている。この政策変更によって 最も明確に違いが表れた例として、1995年8月に核演習を強行した中国に対する一部無 償資金協力の休止決定が挙げられる。それは日本が中国に対して行っている経済援助全 体の7%以下にしかすぎなかったことは確かだが、ODAの新ガイドラインを日本がはじめ て実施した例として特筆すべきであろう。 南アジアでの核兵器演習強行に対する日本の対応はほとんど遠慮のないもので あった。インドにとって最大援助国の日本は、1997会計年度には37億円の無償資金協力 、1998会計年度には132億円の円借款を実施していた。しかし演習強行への懸念を表明 するための日本の対応は、他のどの国よりも厳しいものであった。まず一回目の核演習 の後、日本はインドに対する新たな無償資金協力の停止を決めた。この日本の意思を全 く無視した二度目の演習の際には、インドに対する新たな円借款の停止にまで発展した 。さらに日本は、スウェーデン、スロベニア、コスタリカと共に、国連安保理が以前満 場一致で採択した核不拡散レジームをより強化するための決議案の発起国になっている 。 一方で、戦後日本の輸出管理システムは、SCAP(連合軍最高司令室、以下SCAP )がその政治的権力を日本政府に完全に譲渡する以前から実施されていたことは事実だ が、基本的に日本の法律上では、政府だけが経済発展目的のみに制度的に輸出管理する ことを許されていた。1980年、日本政府は技術輸出管理の原則の中に国家安全保障の概 念を取り入れ、それを公布した。東芝事件後にやっと、日本政府は輸出管理の原則の中 に「国際平和と安全保障」という概念を加え、その法律を改善している。 この1987年以降、日本は輸出管理システムの抜本的改正をはじめた。それほど 東芝スキャンダルは多くの政財界のリーダー達に大きなショックを与えた事件であった 。この事件は日本の大企業の国際的信用度に傷をつけただけでなく、アメリカによる経 済制裁やそれ以上の処罰の可能性さえ危惧させたのであった。その後、ますます高まる NBC(核・生物・化学、以下NBC)兵器拡散の懸念と共に、日本政府は冷戦後の状況に適 した輸出管理システムの改善に努めてきた。1992年に通産省は、産業構造会議のもと安 全保障輸出管理委員会を発足させた。その後、国連軍備縮小委員会の日本代表である今 井隆吉大使の支援のもと、この安全保障輸出管理委員会はより強力な不拡散的輸出管理 のための白書を製作している。 この日本の輸出管理政策の継続的改善は、日米の輸出管理政策をますます近い ものにし、国ごとであった輸出管理を多国間的標準体制の形成に役立っている。おそら く世界で最も厳格なこの日本の輸出管理システムにより、合弁企業を含む日本の多くの 企業は、北米や西欧の企業より以上の規制を課されている。こうした日本の取り組みが 、輸出管理における地域協力をより魅力的なものにし、さらに日本を不拡散的輸出管理 振興における東アジアのそして世界のリーダーにならしめている。 法の枠組みと許認可制度 日本の不拡散的輸出管理上の法体制は、1949年12月1日発令、外為法(外国為 替および外国貿易管理法、以下外為法)に基づいている。この外為法は、日本の自由貿 易主義のための基礎をなしているべきのみならず、国益振興のための貿易管理の必要性 をも定めている。その上、輸出令(1949年12月1日発令、輸出貿易管理令、以下輸出令 )と外為令(1980年10月11日発令、外国為替管理令、以下外為令)といった二つの閣令 により外為法は補足されている。輸出令別表1で被管理製品および輸出先を、外為令別 表で被管理技術を列挙している。 それ以外にも少なくとも以下の六つの大臣布告が当該の輸出に関し規制を定め ている。 ・ 輸出貿易管理規制(昭和24年12月1日付「通産省令第64号」) ・ 外国為替管理に関する大臣布告(昭和55年11月15日付「大蔵省令第44号」) ・ 海外貿易における不可視的貿易処理管理に関する大臣布告(昭和55年11月27日 付「通産省令第64号」) ・ 輸出管理条例補足一号と外国為替管理条例に基づく一般商品と技術のための大 臣布告(平成3年(1991年)3月10日付「通産省令第49号」) ・ 輸出貿易管理補足2号および7号に応ずる規制品目布告(1992年「通産省令第38 号」) ・ 核兵器開発およびそれに関する開発に使用される恐れのある輸出品目を定める 大臣布告(平成7年3月26日付「通産省令第16号」) さらに、日本政府は、以下二通りの通産省国際貿易局による指導書を発行している。 ・ 輸出管理下における操業方法(昭和62年、国際貿易局第322号告示) ・ 外為法第25条1項?1及び第17条2項?3に基づく技術移転に関する指導書(平成4年 、国際貿易局第409号告示) 日本政府自身が指導にあたるということは少なくなってきたが、以上のように輸出管理 施行上の主要部分をなしているということには変わりはない。 日本には一般的な輸出のための免許制度はないが、法律により許認可のための 要求項目をある一定部分免除している。いずれはデータ化されるではあろうが、今のと ころそうした免除のための輸出業者の個別申請は通産省安保課、もしくは8地方にある 通商産業局の内の一つに書類としてとじ込みにされている。また特定包括認可と呼ばれ るもので輸出業者とその保証人を管理している場合もある。さらに一般包括認可1、2 により四つの被規制国以外の国々に対する輸出品目を認可している。通産省の申し立て によると、輸出業者が許認可を申請する前に、大量破壊兵器に関わる可能性のあるいか なる製品、技術、サービスを国際輸出管理レジームに参加していない国に輸出する意志 をもつ場合、通産省に「事前報告」しなければいけないという強制的慣習は、1994年に 撤廃されている。しかしながら、例えば暗号解析技術に関するような製品などの場合、 こうした事前報告の慣習は続けられている。 通産省は輸出先の国によって許認可過程を様々に区別している。イラン、イラ ク、リビア、そして北朝鮮は、禁輸国として認定されている。反対に、一般包括範囲内 で、旧COCOM加盟国であるオーストリア、フィンランド、アイルランド、ニュージーラ ンド、スウェーデン、スイスなどの国際輸出管理調停加盟国に対する輸出は自由にされ ている。さらにワッセナー加盟国や韓国(大韓民国、以下韓国)などの類似する輸出管 理システムを持つ国に対しては、許認可申請義務を幾分軽減している。その他の国々に 対する許認可過程は輸出管理上の手順により多岐にわたっている。法的には、香港はも ともと国際輸出管理レジームに加盟していなかったため、1997年7月1日以前も以降も基 本的には個別申請が必要であるということに変わりはない。しかしながら、実務上、日 本・香港間の大量の貿易をみると、香港に対する許認可申請は好意的に取り扱われてい るといってよい。 実際のところはすべて網羅されているというわけではなかったが、通産省は日 本の許認可申請は年一万件以下であるとしている。しかしその数の多さには変わりはな く、多くの輸出業者が厄介なケースから手を引くということも多々ある。少し古いデー タだが、1994年10月から1995年3月までの輸出許認可申請は、対台湾16%、対韓国13% 、対シンガポール11%と、東アジア諸国への輸出が大半を占めている。 当該官僚組織 通産省が日本の輸出管理の中心的存在である。通産省内の当該役人数は1987年 の40名から1994年には124名へ増加しており、その責任部門は50名以上の専門役人を抱 えるまでになっている。1997年の時点では、通産省安全保障輸出管理課課長補佐が日本 における輸出管理の実務上の最高責任者である。国際貿易管理局内において、この課長 補佐が、約40名の担当職員を抱える輸出課と約60名の担当職員を抱える安保課(安全保 障貿易管理課、以下安保課)の二つの課と、約20名の担当職員を抱える安全保障輸出検 査官室を統括している。さらに通産省は専門職員を管理リスト内の品目ごとに区分して いる。組織図は入り組んでおり、数名の主要官僚は、輸出課と安保課の両方の職につい ている。 輸出課は、日本の商業輸出と武器管理政策の調和をはかりつつ、国家安全保障 上の目的以外の輸出管理において責任を負っている。安保課が、安全保障上の輸出管理 の責任を持ち、他国のカウンターパートナーと交渉したり、安全保障に関する情報の分 析をしたりしている。仮説として例えば、防衛庁が軍用品の輸出を望んだとしても、こ の通産省安保課の許可なしにはできないということである。安全保障検査官室は、該当 する輸出の積荷検査等の責任を負っている。また通産省化学兵器協定室は、CWC事務局 による監査を受けるための準備など、CWCに関する国内の遵守規定上の責任を負ってい る。日本官僚制度の特徴でもある持ち場ローテーション制の影響もあり、安全保障輸出 管理に携わる官僚たちは、通産省内の他の課(例えば、核エネルギー産業課、化学兵器 化合物および薬品管理室、生物化学産業課、航空防衛製品および宇宙産業課等)の官僚 たちと常に密接な関係を保っている。 外為法69条4項に、輸出許認可に関する所見を外務省にたずねるよう規定され ている。外務省が輸出に関する所見の公式権威であり、通産省は通常この外務省の立場 を尊重している。実務上は、国際的影響が懸念される時や協力国との協調が必要な時な どを除き、通産省が外務省への所見依頼無しに許認可を出している。 また、根回し、黒幕、付き合い、同意型意思決定法など典型的な日本の政策決 定慣習は、公式な政策決定過程と同様に重要な位置を占めている。例えば、通産官僚は 定期的に外務省や防衛庁の代表達と協議している。安保課と外務省総合外国政策局不拡 散室との間の非公式な電話協議はほぼ毎日行われていると報告されている。 外務省内では、この不拡散室が国際輸出管理対策に関し、許認可承諾や通産省 との協力において主役を担っている。NSGパート1製品を管理する核エネルギー局やCWC の法律関係の実務を行っているCWC局など、外務省内にいくつかの輸出管理に関連する 部門があるが、いずれも不拡散室と密接に協調している。 管理リスト 被管理製品は、省令を補うかたちで、輸出令別表1に列挙されている。これら は旧COCOMのリストであったのだが、通産省は1988年12月20日にMTCRのリスト、さらに 1989年7月9日にはオーストラリアグループにより管理される化学兵器に関する製品を先 行的に50品目ほどリストに加えた。これらは1991年、政府により正式に被管理製品とし て認定された。特に軍需品に関しては、輸出令の品目197?205によって網羅されている 。さらに、1992年4月4日には新NSGガイドラインに沿って65の軍民両用製品を、1993年1 月1日にはMTCRに沿って90ほどのミサイル関連製品をリストに加えた。1993年7月16日に は7つの生物兵器関連製品を加えている。 今日、日本には安全保障の目的のために、以下に示すように16の範疇において 管理リストが存在する。これらは、NSG/ワッセナー委員会、オーストラリアグループ 、MTCR、そしてCOCOMが管理するリストと呼応している。 1. 通常兵器 2. 核兵器(NSG第1,2関連製品) 3. 生物・化学兵器(CWCとオーストラリアグループ関連製品) 4. ミサイル(MTCR関連製品) 5. ハイテク素材 6. 開発過程にある素材 7. 電気製品 8. コンピューター 9. 通信機器 10. センサーとレーザー 11. 誘導機器と航空電子工学機器 12. 船舶機器 13. 推進器 14. 弾薬 15. センシティブ製品 16. 被管理補足製品 また技術に関しても、これらの製品リスト範疇に呼応するかたちで、外為令と省令で定 められている。CWCの化学製品の基準が変わったり、オーストラリアグループのガイド ラインが変更されたりすれば、これらのリストも改善が図られるといった具合に、日本 の輸出管理における製品リストは国際的責任遂行に応じて手を加えられる。 レジーム参加度 日本は4つある主要不拡散的輸出管理レジームのすべてにそれらの開始から参 加しており、それらのガイドラインや管理リストを遵守している。むしろ日本の輸出管 理システム上の法の枠組みそのものを国際的レジームと同定できると言ってもよい。確 かに1987年以前の日本の関係当局はCOCOMやその他の輸出管理の取り組みに消極的な役 割を担っていたに過ぎなかった。しかしその年以降、日本の関係当局は多国間的輸出管 理の取り組みに対する討議や基盤づくりにおいて非常に重要な貢献をするようになって きた。例えば、1992年に日本がウィーン国際諸機関への恒久的任務に関しNSG規制対象 品第2部の管理において公式接触国になったことは特筆に値するであろう。1995年5月に は同任務が、NSG規制対象品第1部に関する取り組みにおいても公式接触国になった。さ らに、1998年、日本はMTCR議長にもなるなど積極的な活躍を見せている。 キャッチオール管理 日本には安全保障を理由とした片務的な管理制度は存在しない。その代わり、 通産省令第16で日本型のキャッチオール管理とノウ(Know)基準を明示している。1996 年10月1日にこの省令第16号が発令された時、16範疇が管理リストに加えられた。こう した補足的輸出管理制度は、政財界間の度重なる協議の結果の産物である。 手広く定められた基準を持つアメリカ型の反対で、日本のそれは拡散の恐れの ある90ほどの軍民両用製品にノウ基準を当てはめているに過ぎない。これらの製品リス トはNSGや他の大量破壊兵器に関するリストと同じものだが、スペックダウン管理と呼 ばれるように、技術的詳細についてはあまり厳しく管理されていない。ノウ基準とは、 通産省により明示されており、輸出業者は輸出品がその規制内かどうか知っているべき であり、規制外であれば許認可の申請無しに企業が独自に輸出管理することを許されて いることを意味する。さらに輸出先が不拡散協定やレジームに参加しているかキャッチ オール制度を持っている22の国々(国別リスト4?2)であれば、企業はキャッチオール 管理のための客観的基準を当てはめる必要はないのである。一方で、1996年通産省国際 貿易局告知第248により、紙面上に明記された規制にかかわらず、拡散の恐れのある製 品を認知するために、輸出業者は通産省による諮問を勧められている。 訓練度 通産省はその専門役人を、必要に迫られてからとはいえ、よく教育している。 例えば、新任安保課長は一週間ブリーフィングを受けると報告されている。安保課員は 数日間の新任訓練を受け、マニュアルを持たされ、特別訓練コースを継続的に受講する のみならず、輸出業者の工場や税関事務所などに挨拶回りしなければならない。また、 教授やジャーナリストなどが通産省員のためにセミナーを設けたり、担当省員が海外に 勉強の場を求めたりもしている。しかしながら、通産省や外務省の輸出管理役人は多く の経験があればある程良いのだが、たいていの場合2年足らずで省内の別の部門へロー テーションしてしまう。この分野における複雑さのためにごくまれに例外が作り出され ることもあるが、一役人が一部門に停留することがないようにする日本型のローテーシ ョン制度がまず優先されているのが現状である。 他には、例えば税関職員がまず9ヶ月の新人研修を受け、その後も不拡散や輸 出管理に関する情報を取得のための研修やセミナーを継続的に受けている。大企業もま た必要不可欠な知識の教育として、その社員や子会社・関連会社の社員に研修を受けさ せている。 税関当局 9つの各地方にある税関は、大蔵省の管轄下において日本にあるほぼ全ての空港と港で 運営されている。輸出管理を目的として、8千を越す税関職員が、安保課やその他の国 内外の関連当局と密接に関係を保ちながら働いている。通産省が、外為法第54条と輸出 令第5により、適切な輸出管理実施のため、各税関を管理監督していると報告されてい る。また税関当局の申し立てによると、税関職員が輸出関連書類を詳細に調査しある一 定の積荷に対して抜き打ち検査しているとされている。日本の税関当局は在米国関税当 局や米国商務省輸出執行室とも協調しながら運営されている。 確証性 他の旧COCOM加盟国と共同で日本もまた国際輸入証や運輸証明証または再輸出 製品管理などの制度を維持している。これらの制度の受身的な役割として、輸入業者か らの自己申告を受けるということが挙げられる。能動的な役割としては、現場立入り検 査やエンドユーザーの確認監査などが挙げられる。これらの監査は、許認可取得後5年 ごとに行われる。 実際には、日本の担当役人は不足傾向にあるため、外務省員がその出荷の検査 を行うということはめったにない。外務省が任意的に領事館や大使館に検査の実施を促 すというだけに過ぎないだろう。一般的に言って、日本におけるこれらの制度は共同国 やそれらの輸出業者等との信頼関係に頼っている。 罰則 外為法第69条6項によって、違反製品の額が40万円を超える場合、懲役5年以下 もしくは2百万円の罰金と規定されている。外為法第70条では、より軽度な違反の場合 の処罰が規定されている。また外為法第25条2項には、通産省は無許可輸出や武器輸出 をする違反輸出業者に対して、3年以上の輸出特権を削減する権利を有するとされてい る。外為法第53条では、三年間以上の違反輸出業者に対し、通産省が輸出禁止できると されている。検査妨害、無申請、または虚偽の申請は、外為法第72条によって、懲役6 ヶ月と20万以下の罰金と定められている。 最近検挙された16件の違反を見てみると、6件が1年以上、3件が1年以下の懲役 刑を受けている。また3件が1年以上、9件は1年以下の輸出禁止を申し受けている。さら にこれらのうち数件は、マスメディアに報道されることによる社会的制裁を受けている 。 企業は、自浄作用の原則のもと、違反をした場合自己報告する義務および書類 調査を受ける義務を有する。政府はしばしば多様な関係当局による情報や定期検査やそ の手順などの告知によって違反の予防を図っている。 情報の共有度 ・ 政府間 国際的に、日本は不拡散的輸出管理においてより主張的になってきた。1991年、通産 省はアジア輸出管理促進のための委員会発足のための先導者であった。さらに4つの主 要不拡散的輸出管理レジーム内において、日本はアジアにおける安全保障輸出管理のた めの定期会合を主催している。日本政府はまた他のアジアの国々との協力を引き出すた めに特別保括の改善を行った。1994年1月には日本は(スイス、オーストラリア、オラ ンダと協力しながら)中国のNSG加盟に積極的に働きかけ、さらに1995年3月には(スペ イン、アメリカ、オーストラリアと共に)韓国のNSG加盟支援を行っている。 確かに日本はアメリカによる情報提供に大幅に頼っている傾向が引続き残ってはいる が、一方で通産省はエンドユーザーや輸出業者に関する情報開発に対し大幅に予算をつ け始めている。近年ではさらに、韓国、台湾、中国、マレーシア、インドネシア等と2 国間的輸出管理に焦点を当てている。また1993年にはロシアの関係当局と地域政策フォ ーラムを開き、1994年8月にはMTCRに関してパキスタンへ使節団を送っている。また返 還後の香港に対する対応としてオーストラリア、イギリス、アメリカと協同で核提供グ ループに関する情報や、輸出管理に関する情報を提供している。 ・政財間 通産省が輸出管理上の相談の依頼を受けCISTEC(当初、安全保障貿易管理情報 センター、以下CISTEC)を通してそれにこたえている。1980年代、日本の、例えば日立 のような大企業は、関連企業などに対し、欧米の輸出管理基準と同様なものにどう対応 するかといった事を独自に教育し始めた。1987年9月、通産省は主要輸出企業に対し安 全保障輸出管理を遂行するための各々のプログラムをつくるよう指示を出した。しかし 当初のこれらの社内研修プログラムは、それらを監査する現在の通産省安全保障輸出監 査室を満足されるものではなかった。そこで、1989年4月、通産省の後押しで日本の主 要企業はCISTECを発足させた。このCISTECは通産省の輸出課に後援されてはいるが基本 的には、輸出企業の支援をしたり、通産省と産業界の橋渡し役をしたりする非営利の財 団法人である。具体的には、調査やコンサルティングを請け負ったり、研修セミナーや 国際シンポジウムを開催したり、様々なメディアを通し情報提供をしたりしている。ま たCISTECは、エンドユーザーのデータといった不拡散輸出管理に関する情報の収集・解 析をする制度を整備している。 日本製の電子機器がミサイルやジェット戦闘機の部品としてイランに転移され てしまったという1991年の航空電子産業事件を期に、通産省は企業の輸出管理における 社内訓練を更に向上させるよう促した。その後1994年6月に通産省が冷戦後の不拡散に 適応した各企業の新しいプログラム作成の意向を告知した時、CISTECは重要な役割を担 った。言い換えると通産省支援のもとCISTECが新型の管理プログラムを作り上げたと言 ってよい。1996年の夏までに、全輸出企業の80%に近い900あまりの大・中堅企業が、 この通産省後援の研修プログラムに登録したのである。現在ではCISTECと通産省により 中小企業に対する輸出管理支援が図られている。 さらにCISTECは最近、日本周辺地域の輸出管理遵守促進の中心的役割を担って いる。例えば、通産省と協同でCISTECは、1992年末に3人のモンゴル代表、1993年3月に 3人のヴェトナム代表、そして1994年末に5人の韓国からの代表を受け入れ、研修を提供 した。その上CISTECは、定期的に行われるアジア輸出管理セミナーでは中心となってそ の開催も執り行っている。またCWCに関しては、通産省が国内の化学産業に対して研修 やセミナー、プログラムの支援を行っている。 分析および示唆: 将来における日本の輸出管理 CITS/UGA(ジョージア大学国際貿易安全保障研究所、以下CITS/UGA)が開発し た評価手法によると、日本の不拡散的輸出管理システムは近年その必要性が高まってい る多国間管理基準に対して十分適合できるという非常に高い評価結果を得ることができ る(表1参照)。役所(官僚)での手続き過程や、訓練度と確証性の点で若干の減点が 見られるだけである。しかしそれらは日本型の就業慣習(職場転換制度など)によるも ので、同様に日本型の非公式な慣習(根回し、付き合いなど)によって十分補うことが 可能であろう。許認可制度に関しては、通産省が外務省と防衛庁の見解を補足し統合し ていることが効果的であると言えよう。日本の官僚数は制限されていて、その確証性を 高めるためには人員の増強が必要とされるであろうが、それらは自国の産業界や協同国 との密接な関係維持、質の高い研修制度等で現在のところ補足し得ている。 先に触れたように、日本の制度は多国間管理に適合可能である事は事実だが、 日本固有の形態を保持していることもまた事実である。例えばCISTECの存在は、将来他 の国が参照にする可能性は十分あるものの、現時点では他に例を見ない。さらに、日本 は非核三原則のみならず武器輸出三原則をもって、自らの意思によって武器輸出国にな らないという国があるいう貴重な見本を身をもって提示している。日本がしてきたよう な厳格な国内管理プログラムを発展させてきた国は極まれである。それらは盲目的にア メリカのキャッチオール制度を真似てきたというだけでは決して無い。世界の国々の取 り組みをじっくり観察してから、日本はシンプルだが効果的な多国間規約にさえなりう る制度を発展させてきたのである。 表2で示されているように、日本の制度は東アジアのどの国よりも優れている 。日本の大量破壊兵器、通常兵器の不拡散に対する厳格なる態度を証明する様々な証拠 が存在する。特に1980年代後半以来の大幅な取り組み改善には目を見張るものがある。 まさに日本はアジアの他の国々における不拡散的輸出管理の発展を促進する原動力にな っている。日本政府が武器輸出三原則における特例を作ったアメリカに対する防衛技術 移転でさえ、日本企業は、輸出管理に関する法律に抵触するのではという懸念と一般大 衆の怒りに触れるかもしれないという恐れから、一貫して躊躇気味である。 今回のこの日本の輸出管理に対する評価は一時的なものからの判断にしかすぎ ないが、今後も不拡散政策に適合させていくであろう方向性の評価には間違いは無い。 政財界はこれまでこの制度の発展のためにかなり多くのものを投資してきた。それ以上 に、輸出管理において、日本の非軍事的手段による国家安全保障の向上のみならず、日 本経済の拠り所である地域のそして世界の安定を図るためにも、その重要性はますます 高まるであろう。また軍事技術提供国や転送国と協同するといった取り組みを通して、 日本の安全保障上の費用をも削減できるのである。最後に、日本は不拡散的輸出管理の チャンピオンとして、国際社会でリーダーシップを図ってしかるべきであるということ を強調して結びとしたい。 表1 日本 1998年 総合偏差値 ─ 輸出管理諸要素 諸要素 得点 X偏差 偏差値 許認可 1.00 17.86 17.86 リスト 1.00 15.16 15.16 レジーム参加度 1.00 7.65 7.65 キャッチオール 1.00 2.87 2.87 訓練度 0.94 9.25 8.69 手続き過程 0.916 8.30 7.60 税関当局 1.00 15.78 15.78 確証性 0.94 8.78 8.25 罰則 1.00 4.30 4.30 情報共有度 1.00 10.04 10.04 合計 98.20 表2 日本および日本周辺諸国の不拡散的輸出管理制度偏差値、1997年前期 輸出管理諸要素 日本 台湾 韓国 香港 中国 カザフスタン ロシア 許認可 (17.86) 17.86 17.86 17.86 14.88 17.86 17.86 16.37 リスト (15.16) 15.16 12.63 12.63 15.16 10.09 12.63 15.16 レジーム (7.65) 7.65 5.41 7.65 5.41 1.27 2.54 7.65 キャッチオール(2.87) 2.87 0.00 0.00 2.87 0.00 0.00 0.00 訓練度 (9.25) 8.69 6.16 7.70 6.16 1.02 7.70 8.22 手続過程 (8.30) 7.60 7.60 6.91 7.60 6.22 6.91 6.91 税関当局 (15.78) 15.78 13.14 15.78 15.78 7.89 10.50 10.58 確証度 (8.78) 8.25 7.80 8.29 8.78 2.92 2.92 7.80 罰則 (4.30) 4.30 3.58 3.58 3.58 2.86 2.50 2.50 情報共有度(10.04) 10.04 6.69 10.04 8.36 2.92 5.85 6.69 合計(100.00) 98.20 80.87 90.44 91.56 50.07 69.41 81.88 http://www.uga.edu/cits/japanese/Japanese_evaluation.htm