前言:
1.在下的古典日文不是很好,所以所有翻譯僅供參考,
而且由於這篇文章用典、贅字很多,為了不讓這些贅字分散文章重點,
在下僅進行「大意略譯」,而非「一字不漏的百分之百翻譯」,
所以如果真有版胞對這篇文章的「百分之百全譯」有興趣的話,
請找日文古文高手翻譯,在下的能力還沒那麼厲害,抱歉......-_-;
2.由於本篇為古典文學作品,全長過長,
在下也沒有能掃日文文章的掃描器,
因此中間有很長一段非重點部份需要省略,以免譯文過長;
不過為了避免大家覺得「文章沒頭沒尾」,
在下還是會把省略部分的大意打上來讓大家看。
抑もこの度平家一ノ谷の合戰﹑御一門侍大將﹑
そうじて以上十六人の組足の中に﹑物の哀れを留めしは﹑
相國に御弟經盛の子息﹑無官の大夫敦盛にて殊に哀れを留めたり。
その日の御裝束には﹑梅のにをひの肌寄の優なるに﹑
唐紅を召され﹑練貫に色々の糸をもって﹑秋の野に草づくし縫うたる直垂﹑
弓手の手蓋兩面の脛當﹑紫裾濃の御著背長﹑金作りの御配刀﹑
十六差いたる染羽の矢﹑村滋藤の弓﹑連錢葦毛なる駒に﹑
梨子地蒔白覆輪の鞍置かせ﹑御身輕げに召されたり。
召されたる御馬﹑鎧の毛に至るまで﹑實にゆゆしくぞみえられける。
御一門と同じく主上の御供申し﹑濱に下らせ給ひしが﹑
御運の末の悲しさは﹑漢竹の橫笛を﹑內裏に忘れさせ給ひ﹑
捨てても御出であるならば﹑樣での事のあるまじきを﹑
若上ろうの悲しさは﹑且はこの笛を忘れたらん事どもを﹑
一門の名折りと思し召し﹑取りに歸らせ給ひて﹑
彼方此方の時刻にはや﹑御一門の御座船を遙かの沖へ押し出だす。
敦盛御覽じて﹑かなふまじいと思し召し﹑
鹽屋の端を心がけ﹑駒に任せて唯一騎心細くも落ちられけり。
かかりけるところに﹑武藏國の住人﹑熊谷の次郎直實は﹑
この度一ノ谷の先陣とは申せども﹑させる高名きはめずして﹑
無念たぐひはなかりけり。
「あっぱれここ元を﹑よからん仇が通れかし﹑
むづとひっ組んで﹑分捕りせばや」と思ひ﹑渚にそうて下りけるが﹑
敦盛を見付け申し﹑斜ならずに悅び﹑駒の手綱うっすゑ﹑
大音上げて呼ばはる。
「あれに落ちさせ給ふは﹑平家にとってもよき大將と見こめ申して候。
まさなくも鎧の揚卷逆板を﹑仇に見えさせ給ふものかな。
かう申す兵をいかなる者と思し召す。武藏の國の住人﹑
私の党の旗頭に熊谷の次郎直實にて候。
仇におきてよき敵さうぞ。引き返し御勝負候へ。
いかにいかに」とて﹑追っかけ申す。
略譯:
本次一之谷大戰中,平家總共折損了十六員將領級以上的人物,
其中相國(平清盛)之弟經盛的兒子、無官大夫敦盛之死更是令人痛心。
話說戰死當日,敦盛在紅梅色的內衣上套了秋香色的禮服、
外罩深紫色的鎧甲、腰上配著裝飾著黃金的佩刀,
背上背著十六支箭、手持強弓,
連錢葦毛(馬毛色名,看來有點像大麥町)的座騎上還安著華麗的馬鞍,
看來真是威風凜凜。
但或許是他的天命已盡:原本該跟族人一起奉著天皇(安德天皇)離開的他,
卻偏偏把自己的橫笛「漢竹」(即超級名笛「小枝」)給忘在宮裡頭了。
「要是不折回去拿的話,人家必定會笑話我們平家:
只顧著逃,竟然慌得連這種重寶都忘了拿!」
想到這兒,敦盛便回到宮裡頭去拿笛子,卻也因此錯過了上船的時間,
看到平家的船隊已經出發,落單的敦盛只得策馬前行、沿岸追著平家船隊。
(希望能找到機會上船離開。)
就在此時,武藏國的武士熊谷次郎直實正巧經過此地。
雖說他是這次源氏攻打一之谷的先鋒,卻一直沒有立下什麼像樣的戰功,
「我看我們乾脆兵分多路、看能不能多抓幾個敵人回來領賞吧!」
說完,直實便與部下分頭而行、獨自來到海濱。
此時直實正巧看見了一路急馳而來的敦盛,
一手勒緊韁繩,直實大喜過望的高喊:
「看那個落單武士的穿著,想必在平家裡必定也是個有頭有臉的大將吧!
這可真是踏破鐵鞋無覓處、得來全不費功夫啊!
我這武藏國武將熊谷次郎直實再怎麼說也是一方之將,
對那人而言,我也該算是個不錯的對手了吧?
好,那麼我該快點把他追回來、跟他分個勝負!」
(當時戰鬥習慣:雙方在決鬥前自報姓名、官階,
如果覺得對手不夠格跟自己打,便可以丟下對手離開;
所以熊谷說自己「好歹也是一方之將」,應該有資格跟敦盛決一高下。)
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抱歉,在下這篇「敦盛」真的拖了很久,在下真的不是故意的......-_-;
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信玄が日本最強の軍團といわれるまで育てあげた武田軍團が
どうしてこんなに簡單に亡んでいたか
勝賴が惡かったのか﹑御親類眾が惡かったのか
それとも側進が惡かったのか......
それを見つづけていた甲斐の山々は今も默して語らない
~武田勝賴終章
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