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あらいたはしや敦盛﹑熊谷と聞くからに遁れがたくはおぼせども﹑ 駒を早めて落ち給ふが﹑遙かの沖を御覽ずれば﹑御座船近く浮かんだり。 「あの船を招き寄せ﹑乘らうずもの」と思召し﹑ 腰よりも紅に﹑日を出だしたる扇を拔き﹑はらりと開かせ給ひて﹑ 沖なる船を目にかけて﹑ひらりひらりと招かるる。 船中の人々に﹑人しもこそ多きに﹑門わき殿は御覽じて﹑ 「母衣かけ武者の船招くは﹑左馬の頭行盛か﹑ 無官の大夫敦盛か。あれ見よ」との御掟なり。 惡七兵衛承り﹑「いづくにさう」と申して﹑船梁に突っ立ち上がり﹑ 長刀を杖につき﹑甲を脫いできっと見て﹑ 「いたはしの御事や。何として御座船に召し遲れさせたまひけん。 經盛の御子息に﹑無官の大夫敦盛にてわたらせ給ひ候ぞや。 召されたる御馬の毛﹑鎧の毛に至るまで﹑まがふ處もましまさず。 いたはしさよ。」と申しけり。 門わき殿は聞こし召し﹑「敦盛ならばこの船を﹑ 押し寄せて助けよ。」水主楫取承り﹑櫓櫂かぢを立て直し﹑ 船を渚に寄せんとす。 この程二三日﹑吹きしをりたる北風の名殘の波は今日も立つ。 風は木を折って﹑波はごうじゃの如くなり。白浪せがいを洗ひ﹑ 砂を天に上ぐれば﹑只雪の山の如くなり。 小船こそおのづから﹑弓手へも右手へも思ふさまにはあつかはるれ。 殊に優れたる大船に﹑大勢は召されたり。 疊む波に堰かれつつ﹑次第次第に出づれども﹑ 磯へ寄るべきやうはなし。 敦盛此の由を御覽じて﹑「いやいや此の馬を海上にうちひて﹑ 泳がせてあの船に乘らうずものを。」とおぼしめし﹑ 駒の手綱かい繰って﹑海上にうちひて﹑浮きぬ沈みぬ泳がせらる。 いたはしや敦盛の﹑老武者にてましまさば﹑ 三頭に乘り下がって時々聲をかけ給はば﹑御馬は逸物なり﹑ 沖の御座船に難なく馬は付くべきに﹑若武者の悲しさは﹑ 馬に離れてかなはじと思し召されける間﹑前嵩に乘りかかって﹑ 左右の鐙を強く踏み﹑手綱にすがり給ひて﹑ 浮きぬ沈みぬ泳がせらる。馬逸物とは申せども﹑ 疊む波に堰かれつつ﹑早泳ぎかねてぞみえにける。 熊谷此の由見參らせ﹑「まさなの平家や﹑ 沖の御座船は遙かに程を隔てつつ﹑しかも波風荒うして﹑ いかでかなはせ給ふべき。引返し御勝負あれ。さなきものならば﹑ 中差を參らせん。」と﹑弓と矢を打ちつがって﹑ そぞろ引いて懸かりけり。敦盛御覽じて﹑ 「なかなかさび矢に射ひてられ﹑一門の名折り」と思し召し﹑ 駒の手綱引返して﹑遠淺になりしかば﹑水鞠ばっと蹴させて﹑ 中差取って打ちつがひ﹑かうこそ詠じ給ひけれ。 梓弓矢を差し矧げて引く時は返す事をば知るかそも君 熊谷も心有る兵にて﹑「あっ」と思ひ﹑左右の鐙を蹴放って﹑ 返歌とおぼしくてかくばかり﹑ 平題の甲矢はづれんと思ひしに矢といふ聲に立ちぞとどまる。  かやうに詠じて待ち受け申す。 さる間﹑敦盛弓矢をからりと投げ捨て給ひ﹑御配刀引ん拔いて﹑ 受けて見よとて打たれたり。熊谷さらりと受け流し﹑ 取って直してちゃうど打つ。二打ち三打ち﹑ ちゃうちゃうと打合はせ﹑互いに勝負見えざれば﹑ 「よれ﹑組まん」「尤」とて﹑打物互にからりと捨て﹑ 鎧の袖を引っ違へ﹑むづと組んで二人が兩馬の間へどうと落つる。 略譯: 被熊谷這麼一追,敦盛狼狽萬分,急急催馬想找個地方躲起來, 無意之間,敦盛瞄到了一旁的一艘大船, 「對了,我何不叫那艘船停下來、讓我上去?」 想著,敦盛便從腰間抽出扇子,拿在手上輕輕的迎風招展。 船上的門協大人(平教盛,敦盛的叔叔)看到了這一幕, 便叫來了惡七兵衛(平景清)吩咐說: 「快去看看那個人到底是左馬頭行盛、或是無官大夫敦盛?」 聽了教盛的命令,惡七兵衛站上船樑仔細看了會兒之後, 便回報教盛說:「從那人的穿著打扮來看,應該是無官大夫敦盛, 但是他怎麼會沒搭上船呢?這真是太糟糕了!」 聽了惡七兵衛的報告,教盛下令: 「既然那人是敦盛,我們就該靠到岸邊救他上船。」 聽了教盛的命令,掌舵、搖槳的人便立刻開始打算靠岸。 可是那幾天正巧風浪極大、波濤洶湧,雖說平家的船隻都是大船、數目也很多, 不過遇到此等風浪,仍舊是無法成功靠岸。 看到船靠不了岸,敦盛心想: 「如果船沒法子靠岸的話,那還不如我自己游過去算了。」 想著,敦盛便策馬入水、慢慢朝平家的船隊游去, 如果是懂得如何調整人馬平衡的老練武士的話, 騎著這匹名馬,必定能夠成功的搭上船; 但是敦盛不過是個初出茅廬的年輕武將,不懂得怎麼乘馬破浪, 只能載浮載沈的、緩緩向平家的船隊前進。 看到敦盛作勢要上船,熊谷心中暗叫不妙: (平家以水軍聞名,很多武將都深識水性。) 「雖說船離岸如此之遠、風浪又這麼大,但是他應該上得了船吧? 不行,非得把他追回來打一場不可...... 不如這樣吧!我射箭把他逼回來!」 想著,熊谷彎弓搭箭、瞄準敦盛就是一箭,敦盛心想: 「要是讓這種生鏽的箭給射著了,有損我平家的威風!」 於是敦盛勒馬上岸、一邊一箭射向熊谷、同時開口吟道: 「梓弓矢を差し矧げて引く時は返す事をば知るかそも君」 (略譯:今日你拿箭射我,可是你可曾想過:你也會有被人瞄準的時候?) 熊谷在詩歌方面也頗有造詣,一聽到敦盛的和歌, 熊谷驚愕的「啊」了一聲,用力一夾馬腹、隨即思索出一首答歌: 平題の甲矢はづれんと思ひしに矢といふ聲に立ちぞとどまる (略譯:我原本以為我射歪了, 沒想到你竟是發出了「啊」的一聲、勒馬立於該地。) 就在兩人詩歌唱和的這時候,敦盛把手中的弓箭丟在一旁, 拔刀出鞘、開始往熊谷砍去。 而熊谷輕鬆自在的擋下敦盛的攻擊,一邊伺機反擊, 兩人交鋒數次,始終不分勝負,此時兩人各自開口: 「放馬過來!」 「看我的!」 一邊將手邊的武器丟在地上,抓著對方的鎧甲袖子, 剎那間,兩人抱在一起從馬背上摔落、滾到地上。 -- 信玄が日本最強の軍團といわれるまで育てあげた武田軍團が どうしてこんなに簡單に亡んでいたか 勝賴が惡かったのか﹑御親類眾が惡かったのか それとも側進が惡かったのか...... それを見つづけていた甲斐の山々は今も默して語らない ~武田勝賴終章 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 211.74.17.184