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↓關於Help As One和香港公演的一些訪談。 http://blog.magazineworld.jp/yoshiki/ ↓在香港公演後關於「YOSHIKI基金」的訪談影片。 (之前香港LIVE的收入有捐出部分給當地的慈善機構) http://blog.magazineworld.jp/yoshiki/2036/ 第1章 偶然の出会い 昨年の8月末、ロサンゼルスで『YOSHIKI』が突然、私たちの前に姿を現し て以来、私たちと彼との間にひとつの約束ができました……。 それは「僕の準備ができるまで、この話を公開するのを待って欲しい……」 というものでした。 それは『Help as One』(「音楽の力で世界をより良い世界に変えていこう 」というスローガンのもとに、世界中のアーティストやクリエーターたちが 協力し行動を興していくために設立された米国NPO法人の名称)の発足パー ティーを取材に行ったときに始まりました……。 ハリウッドのセレブ御用達クラブ『KRESS』で行われたキックオフパーティ ーには、日本でもお馴染みのスターやアーティスト、クリエーターが集まり 、「マイケル・ジャクソンが来る!」との情報から多くのセレブやファンが 会場に集まり、一帯は晩夏の涼しい風とは反比例し、異常なほどの熱気を帯 びていました。 しかし、時間が過ぎても現れないマイケルに失望した見物人やメディアの人 たちが「またか!」と諦め、罵詈雑言を放ち帰ろうとしたその時、1台のベ ントレーが静かに駐車場に入ってきました。 目を見張る美女を二人連れて、その車から降り立ったのが、現在、その活動 拠点をロサンゼルスに移し、ここLAでもセレブの称号を得ている初めての日 本人『YOSHIKI』でした。 その姿を見て多くのメディアが彼の車を囲むなか、礼儀正しく関係者に挨拶 をしながら彼はレッドカーペットを歩み始め、その来訪の目的を聞かれ穏や かな視線と確かな口調で語り始めました。 「ここには、自分の勉強のために来ました。このような活動には僕もたいへ ん興味をもっています」と話すと、足早に会場へと消えていきました……。 その後、私たちが独占インタビューをお願いすると「いつまでLAにはいらっ しゃいますか?」と逆に質問され、「後4~5日ほど……」と答えた私たち に、「では、3日後にお会いしましょう」と、その突然の申し込みにも嫌な 顔ひとつせず、微笑みながら応えてくれました。 9月3日、彼に指定されたロデオ・ドライブの一角にある会員制クラブに、 私たちは過大な期待感と一抹の不安を感じながら向かいました……。 ブランチ・タイム前のクラブは、まだ人影もなく閑散としていましたが、壁 一面に飾られた写真の数々が、ここはハリウッド・セレブの中でも数少ない 超一流のスターやプロデューサーだけが入ることを許された場所であること を無言のうちに語りかけてきました。 きっかり予定通りの時間に現れた彼は、クラブのスタッフといつもどおりの 軽いジョークまじりの会話を交わした後、私たちを個室へと案内してくれま した。 一切の撮影を禁じられたその特別な空間で、彼はインタビュー用のレコーダ ーを回すことに気軽に了解をとってくれると、ブランチを取りながらのイン タビューが始まりました。 「09年からワールド・ツアーが始まること」「黒沢監督の生誕100周年記念 ハリウッド映画の音楽監督に選ばれたこと」「『ロックスター』という北米 では人気があるドリンクのアドバイザーに就任したこと」などなど「世界初 のスクープ話」を、まるで友人にでも語りかけるように次々と話してくれた 後、「なぜ、パーティに来たのか?」という、私たちが聞きたかった本題を いよいよ尋ねてみました。 「いま『YOSHIKI基金』と言うか、何か社会貢献のための基金の設立を考え ています」と突然、私たちの意表をつくような話を彼は語り始めました…… 。 幼い頃の彼の父の自殺やHIDEの死が大きなトラウマやしこりとなり、一時は 自分自身も厭世的になったことや『X JAPAN』を再結成することに対する躊 躇とその心の内、そして、彼自身が遂に身につけた「死生観」など……、た だ聞くにはあまりにも重く、そして、その真摯な姿に私たちはただただ驚く だけでした……。 そのときの生々しい肉声が、音声ファイルにある「コンテンツ」です。 2時間ほどのインタビューが終わると彼は日本での再会を誓い、「スタッフ ・ミーティングがあるので……」と言うと私たちの分までの支払いも済ませ 、堅い握手を交わし再び個室へと戻っていきました。 第2章 胸の内を語ってくれたYOSHIKI 9月15日のその日、私たちは『YOSHIKI』のマネージャーから送られてきた 招待状をもち、渋谷・代々木体育館横にある「特設イベント・スペース」に いました……。 徹夜で並び『YOSHIKI』の登場を10数時間もの間、待ち望んでいるという数 多くのファンはすでに大画面に映し出された彼の姿に大喝采を送り、共に歌 い、まるでそこは「ミニ・コンサート場」のような様相を呈し、休日の外苑 周辺の静かな景色とはまったく違う異様な熱気に包まれていました。 予定時間をかなり過ぎ突如、自らハンドルを握るランボルギーニで会場に乗 りつけた彼が登場すると場内の興奮は最高潮となり、涙を流す女性も現れる ほどの大歓声に包まれていきました。 「日本に帰って来ればスーパー・スターなのだ」と、あらためて認識させら れた私たちの困惑などとはまったく無縁に、彼はいつものようにファンに語 りかけ、それに応えるファンの声援はさらにそのボルテージを上げ、秋の大 空にその声は大きくこだましていました……。 「ワールド・ツアーの開始」や「年末のカウントダウン・コンサート」の発 表など、しばらくの間途絶えていた活動情報や報告をファンに語ると、彼は 名残惜しそうな表情を浮かべ、そのステージを後にしました。 その後、私たちが彼の姿と再会したのは、それから数週間経った9月24日、 帝国ホテルで行われた彼自身がプロデュースする「ジュエリーの発表会・記 者会見」場でのことでした……。 多くの新聞記者や編集者に囲まれ、写真を撮られる彼の姿は、代々木で観た その姿とはまた違い、少し緊張しているようにも見えました。型通りの会見 が終わりバック・ステージに戻って行こうとした彼と目線が合った瞬間、彼 が微笑みながら懐かしそうに私たちのもとに来てくれました。 「ごめんなさい、なかなか時間がとれなくて……」と切り出した彼の言葉と その表情は、私たちがLAで会った『YOSHIKI』その人でした。 「必ず時間を作りますので、もう少し待っていてくださいますか」と語る彼 に私たちは「いつまででも待っているので安心してください」と言うのが精 一杯の彼に対するエールでした。 その後、彼がLAに帰ったと聞いたのは、マネージャーから彼の伝言を受けた ときのことでした。 「12月にもう一度、帰ってきます。その時にいろいろと話をしたい」と…… 。 12月23日、私たちは『カウントダウン・コンサート』を皮切りに新春早々か ら始まる「アジア・ツアー」に向けて『X JAPAN』のメンバーとリハーサル を行っていたスタジオの控え室で彼との再会が遂に叶いました……。 興奮気味に語り始めた彼の最初の話は「想像していた以上に、いい音が出て います……」と言う、ツアーに向けて練習を積んでいる『X JAPAN』の話か らでした。嬉しそうに語る彼に「その後、何か進展は?」と尋ねた私たちの 性急な問いに、「アメリカに『グラミー・ファンデーション』という基金が あり、そこと提携する予定で進めています」と話し始めると、一気に彼がそ の後、進めている構想を語り始めました。 「無理せずに、できることからひとつずつスタートしていけばいいのかな、 と考えています……」と語る彼の姿には、自信に満ちた「アーティスト」の 顔と謙虚な「一人の人」としての姿勢が見え隠れしていました。 「僕のような派手な人間が、そのライフ・スタイルを無理に変えることがな い範囲で、自分自身ができることから始めていくことがいいのかなぁ、と考 えるようになったんです」。どこか肩の力が少しだけ抜けたような印象と、 以前よりも強い決意をその言葉から私たちは感じました。 その後、彼の希望からどこかの雑誌にそのことについて少しずつ話をしてみ たいとの希望があり、その取材を12月26日の『YOSHIKIジュエリー』のXマス ・パーティ後に行うことになりました。 その時の取材記事が、ここにある映像と『HANAKO941号(2月12日発売)』に 掲載されたものです。 第3章 2009年、香港でYOSHIKIが語ってくれたこと 09年に入り、彼との時間がまた取れなくなりました。ファン・サイトには大 成功した『カウントダウン・コンサート』後に体調をこわした彼に「風邪」 が追い打ちをかけ、寝込んでしまったとの書き込みがあるのを見つけ、私た ちは少し心配になりました……。 元々、頸椎に持病をもつ彼とLAでのインタビュー後、ばったり街で出会った ときは、まさに治療を受けた後の「クリニック」の前でした。 「治療は?」と聞くと、「長いこと患っているので、時間がかかるようです 。コンサートでは毎回、ここで死んでもいいと言う気持ちで行くんですけど ね……」。満身創痍で戦う武将の姿と重なったあの時の記憶が鮮やかに蘇り 、彼の無事を祈るしかない自分たちの無力感とこれから始まっていく、長く 厳しい「アジア・ツアー」に思いを馳せながら、私たちは彼からの連絡を待 ち続けました。 「香港まで来てくれませんか……」。突然のマネージャーからの電話で伝え られたのは、彼からの私たち宛のメッセージでした……。 1月16・17日で行われる「アジア・ツアー」スタート地、香港公演を観るた めに私たちは急遽、16日夜、最終便で羽田から飛び立ちました。香港公演の 場所は、空港敷地に隣接された国際展示会場『アジアワールドエキスポ』。 市内からは少し離れた場所だが、「海外からきた大物アーティストがよく使 う公演会場だよ」とタクシー・ドライバーが教えてくれました。 深夜、初日コンサートを終えたばかりで、まだ、雑務が山のように残ってい るマネージャーに無理を言い会ってもらいました。そして、「きょうのコン サートには、YOSHIKIからの希望で地元の孤児200名が招待された」ことや「 香港の慈善団体に、今回の収益金から寄付をする」ことなどを初めて知り、 彼が私たちに「来て欲しい」と言った真意が少しわかったような気がしまし た。 その日、20時から始まるコンサートの前に集まったファンに幾つかの質問を してみました。 「どうやって、『X JAPAN』を知ったの?」……。 「何となく買ったCDを聞いていたら、凄く曲が良くて……。その後、もっと 彼らのことを知りたくなってインターネットなどで調べて感動した」。それ から、10数年来のファンだと話してくれた航空会社の客室乗務員の女性たち 。 「この日を長いこと待っていました!」。日本に留学していた時に知って、 それ以来、自分の人生をいつも支え続けてくれたのが彼らの音楽で、今、政 府関係の職に就き、もっと日本と自分たちの国が文化交流を進めることがで きないか、ということを考えていると熱っぽく話してくれたマカオの政府観 光庁のエグゼクティブ。 「最近、知りました……。彼らの音楽はアジア最高のロックだよ」と話して くれたミュージシャン志望の大学生。 性別、国境、年齢、肌の色、宗教、言語……、それらすべてのハードルを彼 らの音楽と共に超えたファンが、その歴史的な瞬間を楽しみに集まってきて いることを、私たちは肌で感じていました。 会場内は、チケットが「発売と同時に売り切れた」という報道を裏付けるよ うに超満員状態となり、40分押しで『LAST SONG』から始まったコンサート は、揺さぶられるような大音響に呼応するファンのウエーブやジャンプで大 きく揺れ、うねっていきました……。 2時間半ほどのコンサートは、壮絶なLIVEドラマを観ているような興奮と、 すべての壁を超えた一体感に包まれた温かい感触を保ちながら、エンディン グ曲『Tears』で終了しました。そして、 「I will try to live with love, with dreams, forever with tears…」 と『YOSHIKI』が、最後にファンに感謝のメッセージを絶叫すると、涙を流 した多くのファンからも「Thank you !」の絶叫がそれに応えるように放た れました……。 深夜に始まった「打上げ」パーティに参加した私たちの目の間に現れた彼は 、少しも疲れた様子を見せることなく、関係者の間を次々と回り、挨拶とお 礼を述べ記念写真を撮られていました。 私たちに気づくと「また、やっちゃいました」とおどけながらも、先ほどの 「ドラム・ジャンプ」で深手を負ったすねの傷を見せてくれ、「香港まで来 てくれて、ありがとうございます」と深々と頭を下げ、翌日のインタビュー で再会することを確認すると、次に順番を待っている香港のスターたちのと ころへと歩んでいきました。 翌日、大きな見出しで『自殺式撃鼓』と書かれた昨晩のコンサートを評する 新聞のトップ記事が、多くの地元メディアからの「コンサート評」を象徴し ていました。好意的な論評と共に「死」という文字が多用されているのが、 『X JAPAN』の前衛的とも言えるコンサートの特徴をよく表しているのでは ないか、と私たちは昨夜のコンサート・シーンを思い出しながら感じていま した。 私たちが待つホテルの特別室には、『仁愛堂』という香港の大手慈善事業団 体の代表が『YOSHIKI』との面談のために同じように彼の到着を待っていま した……。 颯爽と現れた彼の姿とは裏腹に、その声は枯れ、音になることをまるで拒ん でいるようかのようなか細いものでした。慈善団体の代表に寄付金を手渡し 、お礼の言葉を受ける彼の表情には精一杯の微笑みと、念いを果たした満足 感が漂いながらも、一貫して毅然とした姿勢が貫かれているように見受けら れました。 そのことをインタビューで尋ねると、「やっと、第一歩が始まりましたね… …」と嬉しそうに話し、その胸の内を枯れた声を絞り出すように語り始めて くれました。 そのとき、『magazine world』の視聴者に向けて話してくれた模様が、今回 の映像です。 私たちと彼との「ストーリー」は、このように今、始まったばかりです…… 。 今月下旬には、日本テレビ系『ニュースZERO』の番組内で特集が組まれるこ とも決定しました。 そこでは、ここに書かれた詳細が「ドキュメンタリー映像」となって報道さ れます。 「『自殺撲滅』をテーマにしながらも、『生きる』ことの大切さを伝えてい く」という彼の願いを、TVメディア側が全面的に取り上げたものとなってい くはずです。 そして、私たちと彼の「ストーリー」もまだまだ、続いていきます……。 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc) ◆ From: 61.230.14.90