http://aucfan.com/pr/toshi01.html
TOSHIさんはネットオークションをされますか?
以前出品をしたことがありますよ。
その時はチャリティーか何かですか?
チャリティーだったかな。だいぶ前なんですけど。何かの企画で自分の
持っているものを出品したことがあります。
ちょっともう10年ぐらい前になるので、何を出したかは忘れてしまいまし
たが。
インターネットでモノを買ったりすることはありますか?
インターネットでは「本」とかを買ったことがあります。
「X時代」・「ソロ活動時代」そして「今」で「モノ」に対する興味関心
はどのように移っていきましたか?
モノに対する・・・。うーん難しいなぁ。
あの~、X JAPANが解散する前ですね、そう10年以上前。「X JAPANのTOSHI
」として芸能界にいたときは、いろんなモノを集めてました。
その当時は、ロサンゼルスで生活をしていて、車にしてもお家にしても、
言ってみればステータスを、非常に求めてましたね。
それはそれで本当に素晴らしかった。
質の良いモノを身に付けたり、持ったり、食事をしたり、素晴らしいこと
でした。
「物質的なクオリティーが高ければ高いほど良い」と思っていて。僕はそ
ういう海外での生活をして、しかも若い年齢で、そういう生活がある程度
できていて。
それは上を見たらキリが無いですが、それなりに得てきました。
でもやっぱり、どこかに「心のむなしさ」だとかを感じていて。
そういう「モノ」を他人にひけらかせばひけらかすほど。
普通はそのモノが「便利」だから、「質が良い」から使うんだけど、僕の
場合、なんというか、「人に勝つため」で。
そういう、まるで「人」まで「モノ」のように、何か自分がこう劣等感が
強いものだから、他人に優越したいために、飾っている。
だからモノに対しても、「素晴らしい質だから、使う」というよりは、「
こんなブランドを持ってる俺はスゲェ。こんなキレイな女性を連れている
俺はスゲェだろ」みたいな。
「いかに自分を凄く見せるか」みたいな(笑)
自分に中身が無いもんだから、外側を飾るものとして、モノを集めていた
ような気がします。
何か自分の内側で、自分に自信が無いから、そういうことで、人より優越
したいって思う。あるいは弱さを見せるのが「怖い」ものだから、そうい
う「モノ」で人に「どうだ」ってところを見せれるので、そんなような動
機から「モノ」を集めていた感じがするんですね。
だから「こんなすごい人知ってるんだ」「こんなすごいモノ持ってるんだ
」ていうのを自分のステータスにしてて、良い悪いは別にして、自分の場
合は何か、その人を愛しているんじゃなくて、「自分がスゲェだろ」って
いう。
そんな自分がとてもむなしくなって、今度はそういうのを捨てていく方向
に、降りていくような方向に、下に下にって向かって、そぎ落としていく
。
その中で要らないものに気が付いていく、捨てていくという作業をする中
で、いかに今までの自分が「インチキ」で「かっこ悪い」か、「弱虫」で
「ダサい」のか、今度はそんな自分に気付いていくというか、ありのまま
を認めていくような。
そういうことをしていたのがこの10年間だったと思います。
だから、すごく楽になっていくんですけど、最初は恐怖もありましたね(
笑)
そういう、身にまとった鎧兜を脱いでいくっていうのが。
例えばボランティアで施設のおじいちゃん・おばあちゃんの前で歌うじゃ
ないですか。
僕は全国8,000箇所以上回って、ボランティアでいろんな福祉施設、ホスピ
スだとか刑務所だとか、少年院だとか障害者の方の施設だとか、いろんな
ところに行ったんで。
おじいちゃん・おばあちゃんの前で、「俺はTOSHIだ」って言っても「お前
誰だ」って言われちゃうわけです。
全く人気だとか地位や名声だとかが関係ない世界ですよ。
そういう自分がひけらかしていたものが全く通用しない中で、歌を歌う。
なんか、それが超ビビるんですよ。もう本当に足が震えちゃうぐらい。
怖くて、怖くて、しょうがないんですよ。
そんな「裸の王様」にされちゃうときに、「いかに自分って弱いのか」、
「自分が情けないのか」、どれだけ「自分が鎧兜で虚勢を張ってきたのか
」をすごく痛感しまして「本当に僕は弱い人間だな」と。
おじいちゃん・おばあちゃんたちの前で、言葉一つ、普通に自信を持って
しゃべることもできない。地位や名声やモノを盾にしないと、人とも関わ
れないような、「ほんと情けない人間なんだな」ということを痛感したん
です。
でも毎日毎日歌を歌う中で、何も知らないおじいちゃんが泣いてくれてる
とか、おばあちゃんが感動してるとか、涙してくれるとか、刑務所で全員
が泣いてくれていたこともありました。
それは「有名だから」とか、「売れてるから」とかっていう、社会的なも
のが一切関係ない世界。
そこで勝負するっていうのは、結局本当に心に響かないと。
おじいちゃん・おばあちゃんには、聞く気も最初は無いかもしれない。言
葉が理解できないかもしれない。耳も不自由かもしれない。だけど泣いて
くれる、感動してくれる、「ありがとう」といって手を握ってくれる。
それが本当に腰が抜けるぐらい感動するんですよ。
もう「本当にありがとうございます」って気持ちにこっちがなる。
「心からありがとうございます」って気持ちになる。
だから「歌わせてもらってありがとう」・「聞いてくれてありがとう」・
「手を握ってくれてありがとう」
そういう、すごいこみ上げるような自発的なものが、本当に初めて、人生
かけて初めて「俺は心の底からありがとうって言ったこと無いんじゃない
かな」って思うぐらい、そういうこみ上げてくる気持ちが、出てきたとき
は、とにかく涙が、なんだか知らないけどポロポロポロポロこぼれてくる
んですよ。
そんな日々をこの10年間送ってきたんですよ。
その経験が、今は自分の心の柱になっている。
だからよく僕は「根っこ」というんだけど、やっと僕の心の根が生えてき
た感じです。
それまでは僕は、若くしてバーンと売れちゃって、もう自分自身、本当に
傲慢だったし、「足の無いテーブルの上で踊ってる」感じ。
だから、すごく楽になっていくんですけど、最初は恐怖もありましたね
(笑)
すごく不安定だから、モノを求めるんですよ。
だけど根が張ってくると、そういう自分が「モノ」と対する時、さっきも
言ったように「モノ」って品質の良いもの、美しいもの、機能的に優れ、
デザインもセンスのいいもの、それってすごく大事だなって思うんです。
なぜなら、そういう美しい素材で作られた洋服、着心地の良いもの、肌に
優しい、環境にやさしい、子供たちにやさしい服、無農薬の美しい食べ物
、美しい空気、水、美しい家、美しい心を持った異性、美しい友達、心の
美しいもの・・・純粋なものが何よりも大事だって思うわけ。
でも、それらを得るためには、お金も必要というところがあるんです。
だから、そういう「良いモノを手に入れるって最高のことだな」って思う
んです。
品質の良いものって、ちゃんと作られてるし、丁寧に作られてるし、カッ
コ良いんですね。
だから、そういうモノって、「たくさん求めたい」って思うし、そういう
「モノ」と共に「暮らしたい」って思うんですよ。
だから本当の意味で、「成功したい」って思うんですよ。
モノってすごく大切、心も大事。
でも心だけでも、僕は何か、「せっかくこの時代に生きてる」んだから、
どっちかっていうと人生を楽しみたい。
だから素朴な生活や音楽もやってきたし、そぎ落としていくのも大切だし
、心が満たされるということが何よりも大事だと思うけど、そういう「満
たされた心を持ちながら、物質的な美しい「モノ」も両方あったら最高だ
な」って思います。
本当の意味での「物質的な豊かさ」と、本当の意味での「心の豊かさ」、
「両方持ってはじめて本当の豊かさなんじゃないか」って自分ではそう思
うんです。
だからなんか僕は、そういう本質的なものを創造していくような人生や仕
事をしたいと思う。
子供たちが見て「わあ、素敵な生活。あんな素敵な愛と夢とロマンがある
、そんな生き方できたらカッコいいな」って「自分もそうなりたいな」っ
て、そういう風に思ってもらえるような真の成功をしている大人にね。
まあ僕はもうオッサンだけど、そういう大人になれたら良いなと思います
。
まあ今まで、ダーっとある程度の成功を収めて、恵まれて、そして今度は
それをそぎ落として、ダーっと降りていった自分が、今度は第3の新たな人
生を始めていくと思うんですね。