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※ 引述《wen750711 (認真の魔人)》之銘言: : 促音用小つ表示這大家都知道 : 但為什麼是用つ呢? : 有來源嗎? : 我有想過如果用其他字去表示 : 唯一想到的是比劃太多 : つ就一下筆轉半圓就好了 : 其他的就還要提筆再下筆 : 或是要轉很多圈 : 那為什麼不用し呢? 查了一下 這篇寫得很詳細 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318060198 轉錄全文供您參考 azulthrさん2008/7/2822:38:54 なぜ促音表記に「つ」という文字が使われるようになったのでしょうか 促音は実際には発音はせず、直後の音を発音するのに待つ1拍ですよね? それだったら、別に「つ」でなくてもよさそうなものですが。 がっこう:Gakkooだったら「く」でも、 とっさに;Tossa niだったら「す」でも 良さそうなのに、なぜ「つ」に落ち着いたのか不思議です。 入声音と関係があるのでしょうか? ベストアンサーに選ばれた回答 akitsendさん 2008/7/2901:00:11 お察しの通り、入声音と関係があります。 古くは日本語には撥音と促音がなく、今よりも厳密な 開音節言語(母音だけで終わる言語)だったと考えられています。 そのような完全な開音節言語だった日本語に、奈良時代頃から 漢語が盛んに入ってくるようになりました。 初めの頃は現在の英語のような文明的外来語として学ばれ、 子音終わりの漢字も、そのまま子音終わりで発音されていました。 しかし、奈良時代にも既に、一般庶民の間に広がって日本語化した 漢語があり、そのような漢語では、子音終わりの場合に母音を付けて 日本語化した発音が行われました。例えば「菊」は「kik」ではなく 「kiku」として発音され、和語のように扱われるようになりました。 平安時代になると、漢語がますます一般化して、 庶民の間にも多数用いられるようになってくるとともに、 日本語の音韻にも変化が起こり、撥音と促音が日本語の音韻として 確立してきます。そして、表記には様々な混乱が見られました。 現在では「撥音便」と呼ばれている音便には、登場初期は2種類ありました。 バ行、マ行から変化した「m音便」と、それ以外から変化した「n音便」です。 音便が誕生した平安時代から鎌倉時代までは、これらは区別されていました。 例えば「死にて」→「死んで」は「sinde」、 「飛びて」→「飛んで」は「tomde」という具合です。 またこの頃は、「三」は「sam」で「山」は「san」というように、 mで終わる漢字とnで終わる漢字が区別されていました。 また、当初は撥音と促音の区別がはっきりしておらず、どちらも 「母音を含まない特殊な音節」ということで共通の性質を持っていました。 これらがしっかり分化するのも鎌倉時代ごろからです。 m音便は最も早い時期は無表記で、そのうち「む」で書かれるようになりました。 「飛んで」は「飛むで」と書かれたのです。n音便も当初は無表記で、「なめり」が 「なんめり」と発音されたことは有名です。 やがて「む」とも書かれるようにもなりました。 促音も当初は無表記で、「取って」がしばしば「とて」と書かれるなどしていました。 平安時代初期頃から、促音を「む」と書く例も散見されますが、11世紀初頭までは 無表記が原則です。11世紀には促音の「む」が多くなるとともに、 11世紀中頃から、「ん」が出現し、撥音と促音の両方に用いられるようになります。 例えば「欲す」を「ほんす」とも書きました。 12世紀になると、m音便とn音便が合流し、m終わりの漢字と n終わりの漢字も区別されなくなって、現在のような撥音が成立します。 こうして、所謂撥音が「ん」で表記されるようになりましたが、まだ促音も「ん」で 表記されることがありました。しかし、平安時代から稀に「つ」で表記される例が 見られるようになり、鎌倉時代中期以降に一般化します。 なぜこの時代に「つ」表記が出現し一般化したかという答えは、 入声の漢字の開音節化の時期にあります。 「k」「p」終わりの漢字は早くに開音節化し、「キ」「ク」「フ」終わりになりました 。 ところが、「t」で終わる漢字だけは、室町時代末期になっても、 未だに母音を付けない形が並存していたのです。 室町時代には「連声」という現象が頻繁に見られますが、 これは当時子音終わりだった「ん」(n)と「つ」(t)の直後の音節が 影響を受ける現象で、 「人間は」が「ニンゲンナ」、「今日は」が「コンニッタ」のようになりました。 また、16世紀末にはキリスト教宣教師によって日本語がローマ字表記されましたが、 そこでも「仏滅」が「butmet」、「大切」が「taixet」、「時節」が「jixet」、 退屈が「taicut」などと書かれ、子音終わりだったことは明らかです。 「Bat. Bachi (罰)に同じ」という辞書の記述もあります。 促音が「つ」で表記されることになったのは、鎌倉時代中期から室町時代まで、 「-k」「-p」が先に開音節化してしまい、 「-t」が促音に似た響きの入声として残っていたからです。 当時は促音の小書きはありませんが、「今日」「仏滅」「大切」「時節」「退屈」は、 「こんにっ」「ぶっめっ」「たいしぇっ」「じしぇっ」「たいくっ」とも 書けるような発音でした。また、tの直後に子音が続けば、 一切(itsai)や一体(ittai)、一回(itkai)のように、 そのまま「いっさい」「いったい」「いっかい」にも聞こえる発音になります。 そしてこれは起源としては明らかにタ行の「t」であり、 母音が付いた「つ」(-tu、-tsu)の形とも並存していました。 従って、この発音が「く」でも「す」でもなく「つ」と書かれるのは自然でした。 もしkとpとtの開音節化の時期が同じだったら、 促音の表記はもっと混乱していたでしょう。 鎌倉時代中期から室町時代にかけて、tだけが子音終わりで残っていたからこそ、 促音の表記は「く」でも「す」でも「ふ」でもなく「つ」に決まり、 それが定着したのです。 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc), 來自: 42.67.87.65 ※ 文章網址: https://www.ptt.cc/bbs/NIHONGO/M.1450709400.A.600.html
romand: 覺得要整篇貼過來不如不要貼... 12/22 20:31
medama: QQ 12/22 21:27