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味之素 羽生X栗原秀文對談分為《電視節目》及《報紙報導》二部分 ◎味之素《金牌的餐桌》 10月26日BS朝日 節目簡介 https://i.imgur.com/yOO7ZKv.jpeg 來源 https://reurl.cc/26Z5xa 參考中譯 貼吧版 https://i.imgur.com/t6AsTkV.jpeg https://i.imgur.com/3OM43Mh.jpeg 來源 https://reurl.cc/xpQg1z 雪寶版 https://reurl.cc/M6NZO4 ◎花絮圖輯 https://reurl.cc/qn5MQR ▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁▂▃▄▅▆▇█▇▆▅▄▃▂▁▂▃▄▅▆▇█無意義 分隔線 ◎味之素 羽生 X 栗原秀文對談 11月7日 11:11日刊體育上傳 共四篇 原文連結 Part1 https://reurl.cc/36od0O Part2 https://reurl.cc/O5AxZr Part3 https://reurl.cc/6jZA8O Part4 https://reurl.cc/461202 因日刊休業在即,擔心訪談資料散失,會再放上日文訪談全文。(目前日本雅虎新聞已下 架這系列報導了) ◎日文全文 Part1 【羽生結弦】追憶、北京五輪「集大成」味の素社VP栗原秀文氏と明かす4A挑戦の舞 台裏/対談1 冬季五輪男子2連覇のプロフィギュアスケーター羽生結弦(29)が、コンディショニン グ面において「集大成」のサポートを受けたと感謝する22年北京五輪を回想した。この ほど、日本代表選手団を支援する味の素(株)「ビクトリープロジェクト(VP)」の栗 原秀文チームリーダー(48)と対談。前人未到だったクワッドアクセル(4回転半ジャ ンプ)に挑み、世界初の「4A」認定をつかむまでの舞台裏を振り返った。26年ミラノ・ コルティナダンペッツォ五輪のプレシーズンも開幕。金メダル2個の羽生に寄り添うこ とで得られた知見が、日本勢の次代も明るく照らす。(敬称略)【構成=木下淳】 羽生は3度のオリンピックを、孤高の道を、栄養学や心身を磨く探究とともに歩んでき た。14年ソチ大会でアジア男子初の金。18年平昌で世界66年ぶりの2連覇。22年北京で 「相愛」の五輪史に4回転半の初認定を刻んだ。伴走してきたのは、栗原ら味の素社VP の面々だった。 栗原 ある方から、栄養面、体づくり、健康に関して少し悩んでいるアスリートがいる と。そこで紹介されたのが羽生選手でした。 羽生 そうです。ソチ前の…前か。17歳でしたね。 12年4月末。仙台からカナダ・トロントへ拠点を移した後の、夏だった。当時、全く「 食」には興味がない高校2年生だった。 栗原 最初に「僕、食べるの好きじゃないですから」と言われたんですよね。 羽生 もともと胃が強くないので、食べられる時と食べられない時があって。まさにカ ナダへ行った直後で、現地の食材や料理が“合う、合わない”もあった時でした。その 中で、まず食べやすさから入って、次は栄養の取り方、タイミングと考えていって。食 べられない時は補食を入れたり、たくさん教えてもらいました。僕らの競技は(ジャン プを跳ぶため)制限が必要で、体が重くなるのが怖いんです。食事に対して、栄養(摂 取)よりもダイエットというイメージが強くありました。 味の素は、候補を含む日本代表選手たちを「食とアミノ酸」で03年からサポート。五輪 は、翌04年のアテネ大会から今夏のパリ大会で22周年を迎えた。羽生は冬季フィギュア 界で「専属」の支援を10年超、受けている。 栗原 ソチまでは基本的に心身の「健康」だけにフォーカスして「バランスよく、毎日 3食しっかり食べよう」というステップから踏みましたね。特にフィギュアスケートは 演技でジャッジや観客に感情、世界観を表現する競技。絶対に心も健康でなければいけ なかったので。 羽生 平昌五輪に向けては「体重」と「活動量」がテーマでした。いつぐらいから始め たんでしたっけ? 栗原 ソチの2年後からですね。体重、体組成を管理すると同時に、日々のトレーニン グ量と強度を「ロード(負荷)」として数値化し、経時的に状態の変化を見ていきなが ら、パフォーマンスとすり合わせしていきました。 Part2 【羽生結弦】前人未到の4回転半ジャンプ成功の夢へ…カギは「腱反射」糖質制限や加 圧も/対談2 世界大会の主要6冠「スーパースラム」完成など、氷上に存在するタイトルは全て手に してきた羽生が、競技会で最後に目指した夢が4回転半の成功だった。 羽生 栄養管理的にも(平昌五輪までの取り組みが)ベースになりました。(2連覇し た後の)23、24歳ぐらいから「体が重たいのは嫌かも」と僕が言い始めて。マラソンみ たいに、常時、内臓を揺さぶられ続けるダメージが、より大きくかかる競技でもあった ので(胃に食事が残らないよう)内臓ケアもしたり。4回転半を目指すに当たって、ベ ストパフォーマンスを出せていた頃の体重がいいのか、それとも筋力をつけた方がいい のか、議論もしながら。 栗原 ハムストリングス(太もも裏)を鍛えるためのスクワットとか、北京五輪の前、 かなり脚を鍛えたことが、ひと目で分かったので、驚いたら「分かる? だけど…」と おっしゃっていましたね。そして「筋力で跳ぶレベルは、いい感じ。あとは腱(けん) 」と言ってくれたんです。まさに自分も4Aを跳ぶカギは「腱反射じゃないか」と言おう と思っていた時で。同じことを考えていたんだって。 羽生 世界のトレンド的にも、研究がどんどん進んで、科学的にも証明されつつあるも のがありましたから。 「腱」は筋肉と骨をつないで“ばね”のように振る舞い、弾性エネルギーを貯蔵・再利 用できる。その反射を使って4回転半を跳ぼうと、アミノ酸を北京五輪に向けて積極的 に摂取し、強化に努めていた。体内メカニズムの解明に余念がない羽生と、栗原の提案 が調和した瞬間の1つだった。 羽生は「栗さんに洗脳されています」と笑いながら「やっぱり僕自身『どうやったらう まくなるか』に、かなり貪欲なんですよ。どうしても自分の知識だけでは足りない。だ から栗原さんに聞いたし、自分でも調べたし。それを共有してブラッシュアップしまし たね」と振り返る。 北京五輪シーズンが幕を開ける前の21年6月1日には、トレーナーもまじえてオンライン 会議を行った。全ては4A成功のために。 栗原 腱反射から、解糖系の激しいトレーニング、有酸素系の話まで。腱を健康にする 新たなアミノ酸も開発したので「きっと4Aにプラスになるだろう」という仮説を持って 、トレーニングを設計させてもらったんです。 羽生 インターバルトレーニング、ローカーボ(糖質制限)から加圧、心拍数まで、瞬 発系か持久系か、もありました。もう「健康」がどうこうではなく、土台ができ上がっ て、その上に成り立っていました。(北京五輪は)集大成でしたね。 Part3 【羽生結弦】感動のエキシビション「最後の最後の演技まで最高に」初めて明かされる 秘話/対談3 「人生って報われることが全てじゃない。でも報われなかった今は今で幸せ」 そんな名言が、新たに羽生から生まれた北京五輪。結果は4位だった。リンク上の穴に4 回転サルコーを阻まれる悲運に見舞われた。まさかのショートプログラム8位で3大会連 続のメダルこそ逃したが、新型コロナ禍の中、全霊を懸けて22年2月10日、男子フリー の1日だけに照準を合わせてきたチャレンジは色あせない。五輪史に残る、世界初の「4 A」が公式記録に刻まれた。 栗原 すごく、聞きたかったことがあるんです。北京で4Aが認定されて…とはいえ、悔 しい結果で。でも(10日後の)エキシビションに向けて「栗さん、俺もう1回、ためる から」「やるよ」と連絡をくれたじゃないですか。確かフリーの3日後、4日後に。そこ から、またエネルギーやグリコーゲンをためていった時のプロセス、どのような気持ち でいたんですか? 羽生 正直、自分の演技がめちゃくちゃ悔しかったので。もちろん4Aやるつもりはない んですけど、エキシビションって、人によってはお祭りみたいな捉え方もある中で、僕 にとっては選手の資質が見えるところで。そこでどれだけ見せられるかで「全ての印象 が決まる」と思っていたので。気持ちは落ちるし「何でまた捻挫(フリー前日に古傷の 右足首を負傷)しちゃうんだ…」とも思ったんですけど、ここで気を抜けない。「最後 の最後の演技まで最高にしよう」と思っていました。 栗原 選手村の食堂のテレビで見ていたんですけど、もう号泣ですよ。最高の演技。僕 の人生の中でも絶対に忘れられない瞬間だったから、今回、絶対に伝えたかったんです 。 プロに転向し、史上初のアイスショー単独公演を次々成功させている今も、その気概は 変わっていない。 羽生 今も、ずっと当時の気持ちのままです。最高のものを、どう最後の最後まで届け るか。その延長線上でずっとやっています。右足首はガンガンに痛かったけど、それ以 上にいいものを見せたかった。栗さんはじめ、本当にいろいろな方々にサポートされて 、アスリートは競技会へ出て行くので。本当はフリー本番で出し切ることができれば良 かったんですけど、出し切れなくて、悔しくて。だから全てをエキシビで出したかった 。毎回毎回、注ぎ込んでくださる恩返しをしたい、結果を出したい。それが重圧でもあ り、原動力でもありました。 Part4 【羽生結弦】五輪2連覇王者の知見「僕をベースに研究」蓄積はショーや後輩たちの指 針に/対談4 北京五輪では、チームジャパン全体も支えた栗原が選手村へ入りながら、村外拠点の調 理シェフと連携し、羽生に「勝ち飯」を提供した。除脂肪量の維持から増加に尽力。男 子の演技が午前中だった18年の平昌大会と同様、朝4時台の起床を迫られた羽生と日程 も入念に打ち合わせた。 羽生 五輪はスケジューリングが普通の試合と違うので、例えば「食事は何時間前」と いうルーティンが選手にはあるんですけど、かなわない時が多いんです。「ここで補食 を入れよう」とか、いろいろ話し合いましたね。 栗原 具体的に、サイエンスに近い領域の話までコンプリートしましたね。あとは健康 な状態で氷の上に送り出す。僕の仕事はそこまででした。 羽生 フィギュアは、試合では基本的に(サポートは専属で)僕だけだったので、結果 を待つ時間の緊張感とか、また違ったものだったろうなと思います。「やることやった 」「あとは待つしかねえ」って(笑い)。たぶん「面倒くさい」と思われていたと思う んですけど、かなり勉強させてもらいました。お茶わん1杯のご飯が何キロカロリーか 、すら知らなかった自分に、体づくりを考える土台をつくってくださったので。 一方、支援から生まれる知見は、味の素サイドに存分に蓄積された。 羽生 毎週、提出していたロードや、体組成計のデータと自分の活動の掛け合わせ、調 子がどうか。研究にもなったんだろうなと思います。数式と、実際にアスリートが体感 する強度が合っているのか。19歳とはいえ、既に五輪を取っている金メダリストだった ので。体組成計、活動量、カロリー消費を(10年超にわたって)僕をベースに研究した んだろうなと。 プロ転向後、たった1人で90分間を超えて舞う、前例のないアイスショーにも生きてい る。4日に発表した全国ツアーは30歳の誕生日を迎える12月7日に開幕。再び進化を証明 する。競技会のシーンでも、羽生蛃葹嚂U試行錯誤は成功例として受け継がれていく。2 6年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪。後輩たちの道先を照らす、確かな指針とな る。 部分節譯 https://i.imgur.com/1J7hJxW.jpeg https://i.imgur.com/duBFUAa.jpeg 來源 https://reurl.cc/V013eR ◎其他相關 https://i.imgur.com/PUWuBEk.jpeg 來源 https://reurl.cc/36YN00 https://i.imgur.com/bPlOAFc.jpeg 來源 https://reurl.cc/36YN00 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc), 來自: 223.136.74.13 (臺灣) ※ 文章網址: https://www.ptt.cc/bbs/YuzuruHanyu/M.1733473556.A.65D.html ※ 編輯: nnania (223.136.74.13 臺灣), 12/06/2024 16:38:53 ※ 編輯: nnania (223.136.74.13 臺灣), 12/06/2024 23:14:09